SPOT(日本銀行本店 出典:『東京風景』,小川一真出版部,明44.4. 国立国会図書館デジタルコレクション 東京風景 - 国立国会図書館デジタルコレクション)(台湾銀行東京支店 出典:台湾銀行 編『台湾銀行二十年誌』,川北幸寿,大正8. 国立国会図書館デジタルコレクション 台湾銀行二十年誌 - 国立国会図書館デジタルコレクション) 14 ファイナンス 2025 Nov.ところが、「突如波瀾を巻起した蔵相不用意の一言 問われもせぬ一銀行の業態暴露 震手案審議の余震」に於て片岡蔵相の為せる答弁より東京渡邊銀行破綻の実情端なくも暴露し而も後刻判明せる所に依れば銀行当事者と大蔵当局間の連絡に齟齬するところあり、片岡蔵相の言明が禍因となつて却って同銀行の破綻を早からしめたかの観あるに至った。」、この言明についてたまで 片岡蔵相談」〔3.15 時事〕は「…二時頃大臣室で田次官に会い事情を聞いてみると午後一時二十分頃渡邊銀行の専務…常務…の両名が大蔵省に田次官を訪問したので…面会してみると『いろいろご心配をかけたがもう駄目だから投げ出す』と云ふ挨拶であつたとのことであるその内予算委員会の方から出席を促してきたから直ぐ其の方へ出かけた、すると…銀行救済の方針について質問があつたので其の答弁に関連し既に世間に知れ渡つた事実であらうと思って渡邊銀行破綻云々の話をしたのである。…然るに其後事情を聞いてみると横浜の渡邊系統から融通がついてやつと三時に決済が出来たといふ話それならば何故早く其の旨を吾輩の方へ報告してなかつたのかと思つたが後の祭りである、右様の次第で全く責は銀行側にある我輩としては公式の報告に接し其の事実を述べた迄で何等の責任もない…」との記事。その後の相次ぐ銀行休業の報道については後述のとおり。そんな中、若槻首相は自らの抱懐を出版、新聞広告〔東朝 4.3〕によると我が国歴代首相で自己の抱懐を直截に國民に問ふたものは若槻君が始めてだ。…」。「台湾銀行救済のため緊急勅令を発布する 一億円を限度として日銀融資と損失補償」〔4.14 時事〕は、「内外金融市場における各銀行の資金回収が禍因となつて台湾銀行窮境に陥るや政府は予ての声明に基づき同行の安全保障のために考慮を重ね結局日本銀行をして更に台銀に対し新規の融資を為さしむるの外なしとの結論に達し十二日来政府当局と日本銀行理事者との間に数次重要な会議が行はれたが日銀側は既に台銀に対し出来る限りの援助を尽した今日これ以上の融資に付いては万一損失を来した場合国家に於てこれを補償するが途が開かれなければいかに政府の要請と雖もこれに承服することはできないとかなり強硬な態度に出たので…片岡蔵相も終に意を決して日銀側の意向を容れ損失補償の具体案を決し…政府はこの具体案を以て財界の安定を期することを決した次第である。」との報道。これで事態は収拾するかと思いきや、大日本帝国憲法第 56 条は「枢密顧問ハ枢密院官制ノ定ムル所ニ依リ天皇ノ諮詢ニ応ヘ重要ノ国務ヲ審議ス」と定めるその枢密院の審議が鬼門。「台銀救済の勅令発布に果然痛烈な質問起る 五時間を費やした枢府委員会 遂に非立憲呼はり 政府当局陳弁大いに力む」〔4.15 読売〕は「台湾銀行救済緊急勅令発布に関する枢密院の第一回精査委員会は十四日午後三時同院事務所に開会。…各委員より痛烈な質問を放つたが其の要点は 一 政府が二億の巨額に達する損失補償の責に任ずる重大なる案を議会の協賛を経ずに勅令案として実施するのは不当ではないか…中には之を公表すれば財界に大動揺を来すが〔3.15 時事〕は「十四日午後四時衆議院予算委員会「吾輩に責任はない 公式の報告に接して事実を述べ「若槻礼次郎 國民に訴ふ 四六判一〇〇頁 価十銭
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