ファイナンス 2025年11月号 No.720
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SPOT ファイナンス 2025 Nov. 13(当時の若槻内閣総理大臣と濱口内務大臣 出典:警視庁総監官房文書課記録係 編『大正天皇御大喪儀記録』, 警視庁,昭和3. 国立国会図書館デジタルコレクション 大正天皇御大喪儀記録 - 国立国会図書館デジタルコレクション なお若槻首相の演説はここから演説:総選挙に臨み国民に愬う(一) - 国立国会図書館デジタルコレクション)昭和 100 年―百年前の新聞や日記から―その 1六… 同三年度 予算六七三、一 五、六六八、二三五 …大正三年(一九一四年)に突発した世界戦争は津日に我が国を駆って交戦国に参加せしめ…この大戦は更に軍備拡張熱を煽り、…これが為数次の増税を以てしたるも、なお収支の均衡を保つ能はず公債は比年累増してわが財政は一大危機に瀕したのである。…」と報じる。「廃朝中の開院式」〔12.27 国民〕は「『昭和』政治史の第一頁を彩るべき第五十二回帝国議会は、昭和元年十二月二十六日午前十一時、貴族院本議場において開院式を挙行された。この日天空一碧、微風鳴く雲陰なし、議員門前に垂れたる先帝奉悼の弔旗は悲くとも、新帝の御威徳院の内外にあまねく、さんとして輝く陽光の下、『昭和』新政の第一頁は、左の順序を以て、色濃く而して力強く、染出されたのである、かくて午後十一時降鈴を合図に徳川、粕谷亮議員議長、蜂須賀、小泉両院副議長以下両院議員は貴族院に参集し、若槻首相以下国務大臣又た参列、若槻首相は書記官の棒持する勅語を受取り玉座に向かって最敬礼の後勅命を奉じ第五十二回帝国議会開院式の勅語を棒読した。」と報じる。ちなみに昭和元年 12 月 26 日は日曜日。年は明けて「危機を過分にはらめる 第五十二帝国議会再會 けふ長き休會明けて 政戦の幕いよいよ切らる」〔1.19 時事通〕は「第五十二回帝国議会が再開。雨か雪か、薄靄は低く日比谷一面を包んで寒気と殺気とは交々身に沁むる情景である。恰も、今開かれんとする政戦の実相を反映する如くである。」、「首相の施政方針演説」〔1.19 大朝夕刊〕は「第五十二回帝国議会において若槻総理大臣は左の如き施政方針の演説をなした。諸君ここに新たなる御代の始めをもつて第五十二回帝国議会の開かれたるに方り諸君と相見えて政府の所見を述ぶることを得るは余のもつとも光栄とする所なり 支那内政には絶対不干渉…素より支那の内政に対しては絶対に不干渉の態度を維持する…老朽補助艦艇代艦の建造…政府は乃ち老朽補助艦艇の代艦を建造し由をもつて現在勢力の失墜を防ぎ国防上遺憾なからしめんとするの計画を立てたり 兵役年限短縮を断行…政府は軍隊内部の施設に改正を加へ両々相待って歩兵科の在管年限短縮を断行する事としもつて多年の懸念を解決せんとす…宗教法制定教界に新生面 …政府はかねて朝野の識者に謀り幸いに宗教法の成案を得たるに付きこれを本議会に提出して協賛を請はんとす…」とそこには関東大震災〔1923 年〕の際の震災手形の件は触れられていない。後に藍沢彌八東証理事長は日本経済新聞の「私の履歴書」で、震災手形について「…震災によって決済ができなくなった手形…を救済するために日銀が特別のスタンプを押したものである。これらの手形に対して日銀が割引を行い、それによって日銀が損失を受けた場合は、政府が一億円を限り補償するということであった。この震災手形がいわば当時の経済のガンであった」と語る。「昭和財政史」によると「金融恐慌は震災手形法案の上程から昭和二年三月渡辺銀行の休業をもってその原因とされている」といい、1 月、2月には銀行の休業が起こっており、「3 月中旬頃から震災手形所持銀行に対する取り付けがぼつぼつ行われるようになった」という。「昨夜省議で決定した震災手形整理法案 貸付条件 貸付期限十年以内 利率五分以上」〔1・12 東朝〕は「震災手形整理に関する最後の確定案を得るため大蔵省では十一日午後一時半より蔵相官邸に省議を開催し片岡蔵相田次官以下各関係官出席した外日本銀行より市来総裁参加の上種々震災手形整理に関する。一、震災手形損失補償公債法案、Ⅱ 震災手形整理に関する法律案の二案に関し種々審議の上詳細なる点を決定し同四時半散会した。右散会後片岡蔵相は左の如く発表した。一、震災手形に関する勅令及び法律に基づき政府が日本銀行に対して損失を補償するため一億円の公債を発行する案を決定した…」と報ずる。

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