SPOT(大正天皇御大葬の際の「赤坂見附附近ノ奉送者」 出典:警視庁総監官房文書課記録係 編『大正天皇御大喪儀記録』, 警視庁 , 昭和 3. 国立国会図書館デジタルコレクション 大正天皇御大喪儀記録 - 国立国会図書館デジタルコレクション)2 政治 12 ファイナンス 2025 Nov.五歳になると、貴族院議員に列せられた。」、「右翼団体…が金をゆするために、主催者を私であると難癖をつけてきた…いろいろな人間が私の責任をうんぬんしてきた。あげくには『議員を辞職しろ』とまで言われるありさまである。私はなりたくてなった議員でないから、さっさと辞表を書き送った。…だが、五年ほどたって、また議員に戻った…」と回顧。2月、「大正天皇大喪儀終る』〔2.8 讀売〕「嗚呼昭和二年二月七日此の日こそ先帝永久に帰へらぬ御族に出させ給ふとは予てより定めさせ給ひし御事にはあれどいざその日となりてみれば新たに万民の悲痛慟哭極はりなく大奥に手も如何ばかりか御名残を惜しませ給ひし御事にやとと拝察したてまつりて今はただ涙零るるのみ、…国民が深く銘記し奉るべき先帝御大葬儀の御儀は暮靄深く垂れ籠めて、御堂筋一帯の闇路を照らす篝火あかあかと点りし頃に始まり…是より先き葬場殿の御儀は午後十一時参列諸員拝礼の時を以て無事御終了…」。街の様子につき「大喪拝観者殺到して 死者二重軽症三百余」〔2.8 時事〕「御大葬議当日の混雑を慮り警視庁ではあらかじめ…沿道の警戒を厳重にし、万全を期したにも関わらず、当日は寒明けの好日和に一般参観者殺到期せずして馬場先門外、虎の門、溜池、赤坂見附、青山一丁目交差点、慶応病院前の六ケ所に押寄せたので至る処、未曽有の大混雑を来し、熱誠の余り死者二重軽傷者三百数十名を出だすの不祥事を現出した」。式に参列した日本文化にも造詣の深い詩人、ポール・クローデル・仏大使の「世界にたぐひなき大喪の御儀に列して クローデル大使の印象記」〔2.9 東朝〕は、「白木造のいくつかの鳥居が高く暗につき立っている、その一番奥の鳥居は折しも上る月影が縁取って神々しい、かへりまさぬ帝を送りたてまつる諸々の使が後から後から長い行列を作って鳥居をさして進んでくる、牛四頭に退かれる壮大な霊轜の軋る悲しい響きには笛の哀音が相伴ひ、相次いで、時にとどろく大桐の鼓の力強い音までもいやがうえにさびしさを増すばかり後には笏を手にした三人の祭官に続く大きな松明の明るさ雪をたけるかと思ふばかり。…総てが神々しきまでに整然と行はれる、世界のいづれの国でも百万の人を抱擁する宗教的又は愛国的儀式に当たって、各々がかくばかり完全に自分の役目を成し遂げることはないと私は信ずる、…これにもまして美しく崇高な印象とてはないであらう…」と評す。昭和が始まる直前、「大正 16 年度豫算綱要」〔12・23 時事夕刊〕は「二十一日の予算内示会において貴衆両院の各派代表に対し内示すべき筈であった大正十六年度予算綱要は若槻首相以下閣僚全部葉山滞留の為内示会を開くに至らず速やかに予定を変更して同日午前各派代表に対し大蔵省から綱要を送付するとなったが、政府公表によれば其内容左の如くである。…歳入出予算総額歳入 経常部一、四五八、一一八、五五七 臨時部二七一、九四〇、二一一、…前年度剰除金繰入一六六、三三〇、〇八一 計一、七三〇、〇五八、七六八歳出 経常部一、一七四、九四〇、三〇七 臨時部五五五、一一八、四六一 計一、七三〇、〇五八、七六八」と報道。当時の財政状況について、「大正年間における財政推移の概況」〔12.26 中外商業〕は「明治の末年及び大正の初年におけるわが財政は政局の不安定と共に不安の域を脱しなかったのである、…さればこの間予算はしばしば不成立に終り、財政の運用円滑を書くもの多かった、然るに大隈内閣成立後久しからずして欧州の大戦勃発し、此処に財政上重大な影響を受けたのみならず、経済産業その他社会上にほとんど画時代的の変化を与へたのである。左に元年以来三年度までの歳計表を示す(単位千円)大正元年度 予算五八十二、〇四〇、五八二、〇四〇…同二年度 予算 五九四、四一六、五九四、四一
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