SPOT ファイナンス 2025 Nov. 11(「『春夏秋冬』、中村勘三郎、中村扇雀、長谷川一夫、中村歌右衛門」、「東宝歌舞伎が、松竹に対抗し…當代の人氣役者を集めて踊らせたもの」 出典:渥美清太郎 著『歌舞伎舞踊』, 東京創元社 ,1956. 国立国会図書館デジタルコレクション 歌舞伎舞踊 (創元選書) - 国立国会図書館デジタルコレクション)昭和 100 年―百年前の新聞や日記から―その 1きますと、…そのまま玉屋町の大師匠の家へ着きますと、師匠の鴈治郎を中に、白井松竹社長…が待っておられました。…映画界入りの話はここではっきりしたわけです。大正十五年十二月二十五日、この日の未明大正天皇崩御の発表がありました。御諒闇で歌舞音曲、舞台は中止され、全国の人々が喪に服したので町中が静かだったわけです。続いて皇太子(現天皇)が践祚の式を挙げられました。私が夜行列車で大阪を目指して走る車中の眠りの中で昭和の幕が開いていたのでした。」と日本経済新聞の「私の履歴書」で語る。「懿親、元勲・首相に特に優詔を賜る」〔出展不明)は「天皇陛下には二十八日午前十一時戴仁親王殿下次で西園寺公(代理徳川侍従長)次いで若槻首相を御前に召され左記優渥なる勅語を賜つた…閑院宮に賜つた勅語…西園寺公に賜つた勅語…若槻首相に賜つた勅語」の記事。勅語の順番が元老の地位を象徴。海外の反応。「海外挙って新帝を称賛」「皇帝に対する尊敬は神に対する以上 物資に動かされぬ日本魂と 米紙我国民性を論評」〔12.28 東朝〕は、「ワールド紙は、その論説で次の如く述べている。我々から物質的幸福の進歩という観念を採用したと新しい日本が我々にお世辞を使っておだてて居るのをよく耳にするが今度皇帝陛下の崩御によって真の日本が生きている事を知る、変化は表面上のみに止まるのである東京市中は先帝の喪に服して静かなひつそりした街となりそこには古へよりの宗教伝統が人々の情緒的生活を支配している、我々西洋人の習慣を取り入れても更に変わらない昔ながらの風習が彼等日本人の間に残っている、…皇帝陛下に対する尊敬は神様に対する以上であるそして日本の伝統の強さは官憲が腹切りを禁止したことによっても分る…」、また、「政治の近代化も 国民の忠節を傷つけぬ ロンドン・タイムス紙の社説」〔12.28 東朝〕「タイムス紙は社説において、……様々な思想が日本に輸入され物事が変遷するであらうが吾人は新帝陛下の御治世に日本国民は国際間におけるその誇るべき位置を維持すべく決心しその崇高なる使命を引き続き完了すべく努力しつつ、先帝陛下の御時代におけると同様に国際的平和の維持に努力すべきを疑わない」と報道。「廃止に決定した宮中大奥のお局制度 生活簡易化の範を垂れ給ふ 新帝の畏い思し召し」〔12.31東朝〕では「新帝陛下には御践祚と共に従来東宮仮御所と呼ばれていた赤坂離宮を御在所と定められ当分の間ここに御住居遊ばされる事となったが、その御生活ぶりは東宮御時代のそれと御同様極めて御簡素なものである、新帝の御代と共に宮中の御手ぶりの上にも種々御改革の事あるやに承るが、その筆頭の表れとして従来大奥に奉仕している、いわゆるお局の女官の制度は廃められ、尚侍、命婦…等を置かれぬこととなった、…」の記事。年が明けると、「世はしめやかに諒闇の春明く 宮中の御憂ひも深く 仰ぐも畏し両陛下の御慎み」〔1.1 東京〕は「昭かに和やかなる大御代は早くも第二年の元朝を迎へた、七千万の国民は天地諒闇の悲痛の中より輝く昭和の大御代を仰ぐも感慨無量である」と元旦の模様を報じ、「歌御會は お取止 詠進歌のみ 追って奏上」〔1.1 朝日〕は「昨秋発表された新年御題『海上風静』の詠進歌はすでに十二月十五日の締切日までに御歌所に到着せるもの実に三万余首に上つて居るが右は諒闇につき宮中歌御会のお取りやめあらせられ…」の記事。「問題の舞踏會から 德川義親候隠居 華族辞退の届提出と同時に聲明書を発表して」〔1.30 東朝〕は「昨年十二月十二日夜徳川義親侯は麻生富士見町の邸内において内外人多数男女の舞踏会を催しその写真が某紙に発表されるや折柄先帝御不例の最中とて問題となり某々国粋団あるひは右傾団は盛んに同侯の許に詰め掛けてその不謹慎を難問し、中には脅迫の居に出たものであると伝えられ、…二十八日付をもつて義親候は…左の声明書を発表し、…華族辞退の隠居届を…提出した。」との記事。幕末の越前藩主松平春嶽の五男で尾張徳川家に養子入りした徳川義親氏は後に日本経済新聞の「私の履歴書」で「戦争前、公侯爵は満二十
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