東京税関新潟税関支署 佐渡監視署 署長渡邉 新治はじめに佐渡と税関の関係新潟県佐渡市は、佐渡島全体を市域とする自治体です。面積は約855.7平方キロメートル。北には大佐渡、南には小佐渡の 2 列の山脈が連なり、その間には国中平野が広がっています。東側には両津湾、西側には真野湾が深く入り込み、島全体は S 字型の独特な形をしています。島の遺跡からは、1 万年以上前から人が暮らしていたことがわかっています。最盛期には 250 を超える村があり、明治時代の町村制で 58 町村に統合されました。1961 年には町制が施行され、1 市 7 町 2村となります。当時の市町村は、両津市、相川町、佐和田町、金井町、畑野町、真野町、羽茂町、小木町、新穂村、赤泊村でした。2004 年には 10 市町村が合併し、現在の一島一市「佐渡市」が誕生しました。約 170 年前の 1858 年、日本は欧米 5 か国と修好通商条約を結びました。この条約によって、函館、長崎、横浜、神戸、そして日本海側で唯一、新潟港が開港地に選ばれたのです。しかし、新潟港は信濃川から流れ込む土砂で水深が浅く、冬になると日本海の強風で海が荒れました。大型船が安全に停泊できるか、不安視されていたのです。そこで古くから「夷港(えびすこう)」と呼ばれていた佐渡の両津港が補助港に指定されます。波が穏やかで暗礁もなく、船の出入りに適した港だったからです。そして 1869 年 11 月 19 日、両津港は新潟港の一部として正式に開港し、「新潟運上所夷港出張所」が設置されました。1871 年、新潟税関夷出張所が独立し、「夷税関」が誕生しました。ここでは、日本初の鉄船「新潟丸」が佐渡の加茂湖岸でイギリス人技師によって建造され、新潟港と夷港を結ぶ重要な物流ルートが開かれました。その後、名称は再び「新潟税関」となり、一時は横浜税関の管轄下に入りました。しかし 1967 年、約 100 年続いた税関業務はついに幕を下ろします。現在、その跡地には高さ 19 メートル、樹齢 300 年のクロマツが残されています。小説家・尾崎紅葉が佐渡を訪れた際、この松を「村雨に濡れる風情あり」と詠み、「村雨のマツ」と呼ばれるようになりました。今も両津港の象徴として親しまれています。2009 年 7 月、国内で銃器犯罪事件が発生しました。これを受けて水際対策を一層強化するため、佐渡島に「新潟税関支署佐渡監視署」が再び設置されました。佐渡は不開港ながら、日本海を挟んで北朝鮮、韓国、ロシアと対岸する位置にあります。さらに、地形が複雑に入り組んでいるため、海流を利用した洋上取引による薬物や銃器の密輸リスクが高い地域とされています。監視署の主な業務は、地元の漁業関係者や民間の協力者からの情報収集です。さらに、地域巡回で住民へ声をかけ、薬物乱用防止の啓発活動や沿岸防犯活動にも積極的に取り組んでいます。また、島内の小中高ファイナンス 2025 Oct. 43「村雨のマツ」と「夷税関跡地」各地の話題連載各地の話題 世界遺産の島 佐渡佐渡市
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