連載PRI Open Campus「刺さる」ようにするためには、単にデータや数字を「分業」をして、情報発信や解説が得意な人たちを快いますが、それだけでは不十分です。他に何が必要だと思われますか?安田)最近の政治や社会の動きを見ていると、「エビデンスよりインプレッション」というのはまさにご指摘のとおりだと痛感します。一方で注意しなければならないのは、「インプレッション系」の人もただ主観的な感想を述べているだけではなく、データや数字を駆使しているという点です。もちろん、きちんと調べればそれが誤った解釈やフェイクだと分かるのですが、データや数字に基づいて語るというスタイル自体は、「エビデンス系」の人とも共通しています。そういった中で、きちんとしたエビデンスが多くの人に示すだけではダメで、トピックに応じた絶妙なデータをタイムリーに示す必要があります。しかし、そうした作法を身に着けるには、相応のトレーニングも必要ですし、そもそもの向き・不向きもあります。研究者は往々にして、じっくり考えて論文を書くのは得意な半面、瞬時に適切なデータを提示して分かりやすく説明するのは不得意です。私も両方の仕事に携わってきましたが、求められるスキルや適性が全く異なるため、今でもなかなか慣れません。アカデミアの中でく送り出し、活躍してもらうことが大切です。こうした情報発信をしてくれる人たちに対して、「出る杭を打つ」のではなく、行政とアカデミアがタッグを組んで、エビデンスやファクトを打ち込んでおいて、彼らが適切なタイミングでそれらを使えるようにサポートするという姿勢が大事だと思います。片野)おっしゃるとおり、研究者からエビデンスやファクトに基づいた情報発信をすることは、ますます重要になっているように感じます。他方で、アカデミアの中では、一般向けの書籍を書いたり、メディアで発信したりすることは、評価されづらいのではないでしょうか?宮本)私が学生の頃は、とにかく英語で良い論文を書くということが全てで、それ以外の活動が評価されないような雰囲気はありました。けれども、安田さんや私の世代くらいからは、その価値観は大きく変わってきたように感じます。安田)伝統的にはそういった風潮もありましたが、最近は社会的な活動であったり、一般向けの書籍を出したり、といったことが徐々に評価されるようになってきています。私が学生だった頃は、そういった活動をしていると、「研究者として終わりだ」とか「良い研究をすることができなくなったシグナルだ」というような捉え方をされることが珍しくありませんでした。最近はむしろ、きちんとした業績のある研究者がメディア発信や社会的な活動をした方が、正しい知識や、よりエキサイティングな研究成果を広めることができる、というように好意的に受け止められるようになってきています。私の恩師の神取道宏先生(東京大学特別教授)も、日本語の文章をほとんど書かない方だったのですが、最近はたまに新聞に寄稿されたり、ミクロ経済学の教科書、解説書をノリノリで書かれるようになったりしていて、かつてとはすっかり雰囲気が変わりました(笑)。神取先生のような、アカデミアの中で尊敬されている先生がそういう活動を行うようになったので、若い研究者たちもトライしやすくなっているのだと思います。大西)安田先生が先程おっしゃったとおり、情報発信には瞬発力が非常に重要で、誤った情報が出てきたときに、「真実はこうです」と即座に反論できないと、その誤情報が流布してしまって、「火消し」ができなくなってしまいます。他方で、瞬発力も発信力もあって、研究者としてもしっかりとした業績のある方は、かなり希少なのではないでしょうか?安田)特定の個人に頼るのは限界があるので、経済学者が集団としてプレゼンスを発揮する、という発想も大事だと思います。日本経済新聞と日本経済研究センターが昨年末から始めた「エコノミクスパネル」はその好例です。これは、50 人弱の経済学者を集めて、タイムリーな政策課題に対するスタンスを 5 段階で、そのスタンスに対する自信度も 5 段階で答えてもらって集計するというものです。もともと、欧米で類似の専門家パネルがあり、その日本版を導入しようという 40 ファイナンス 2025 Oct.
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