ファイナンス 2025年9月号 No.718
70/90

連載セミナー 66 ファイナンス 2025 Sep.日本で国際日曜学校の会議を開催するということで、栄一はその橋渡し役を担いました。両者は、公益を優先する経営や、道徳と経済の両立について語り合い、栄一は孔子の思想をハインツに説明しながら、道徳的精神についての対話を深めています。ハインツの死後も栄一は彼の息子たちと交流を続け、1923 年の関東大震災の際にはハインツ家が即座に缶詰などの支援物資で送ってくれました。このような人間的な支えというのが、栄一の民間外交の根底にあったのではないかと思われます。栄一とともに日米有志協議会の開催に尽力した銀行家フランク・ヴァンダーリップの夫人であるナルシッサ・ヴァンダーリップも社会事業家で、女性参政権運動でとても活躍した人です。彼女は訪日の際、日本の女性の教育や福祉の現場を視察し、栄一の思想にとても強く共鳴しました。帰国後は草の根レベルで日本への理解を広げる活動に力を注ぎました。日米有志協議会での歓迎の挨拶において、栄一は日米の対立には言及せず、日本の伝統的な文化や精神を強調しながら、日本がいかにアメリカによって改革を進めていたか、そして日本人もまた他の国々と同様に世界平和を希求していることを語りました。ナルシッサはその言葉に感銘を受け、帰国後、自宅でいろいろなイベントを開き、反日感情に対抗するための活動に尽力しました。また、ニューヨークタイムズ紙に反日感情に反対する意見を寄稿しています。また、女子英学塾(現在の津田塾大学)の創設者津田梅子氏を深く尊敬し、関東大震災の後には女子英学塾の支援にも尽力しました。栄一と日米関係について考えるとき、実業家としての功績のみならず、社会事業家としての視点から民間外交の意義に、あらためて目を向ける必要があります。アメリカで反日感情の高まる中でも、栄一は一貫して、相互理解と信頼の構築に務めました。実業界の重鎮であると同時に、数多くの社会事業に身を投じた栄一は、アメリカの実業家・社会事業家たちと理念を共有しながら、民間レベルでの信頼の橋を築こうとしました。残念ながら、その後の国際情勢の悪化により、日米関係は戦争という破局へ向かっていきます。しかし、栄一が民間外交に注いだ情熱と誠実な対話の姿勢は、今なお私たちに多くの示唆を与えてくれます。栄一の姿勢から、現代の私たちが学び得ることは数多くあります。例えば:・信頼は時間をかけて築くもの・ 経済と道徳の両立は国家間関係においても重要である・異なる文化や価値観に敬意を持って接する姿勢・対話と相互理解の重要視・公益を志向するリーダーシップの重要性・ 国家間の対立を超えた、市民社会や個人の果たす役割の大きさそして何よりも、「違いを超えていかに共に生きるか」という問いに対して渋沢栄一は生涯をかけて向き続けた人物だったと私は考えています。栄一が残した言葉や行動には、現代に生きる私たちへの数多くのヒントが詰まっています。昨年、新一万円札の発行を記念して、障害のある方々のアートを社会に発信している企業「HERALBONY」とコラボし、栄一の言葉を紹介する展示やウェブサイトを制作しました。「HERALBONY」は、障害者の想像力をアートとして商品化し、社会に届けることによって、障害者が初めて自らの納税によって社会参加できるようになることを目指す、ユニークで力強い企業です。その意味でも「HERALBONY」の取り組みは、まさに「道徳経済合一」の精神を現代に体現する存在であり、栄一が今の時代に生きていたなら、深い感銘を受けたであろうと感じております。本日の私のお話を通じて、栄一の歩みや精神、そして彼が築いた日米関係の在り方が、皆様の心に少しでも響くものであれば幸いです。そしてこれからも、皆様と共に公益と国際理解に基現代への示唆終わりに(4) ナ ル シ ッ サ・ ヴ ァ ン ダ ー リ ッ プ(Narcissa Vanderlip)

元のページ  ../index.html#70

このブックを見る