ファイナンス 2025年9月号 No.718
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電機大矢島薬つるや旧丸愛足立市場千住南組四丁目二丁目一丁目国道4号千住中組千住北組三丁目ルミネ 北千住駅丸井④①③路線価でひもとく街の歴史連載路線価でひもとく街の歴史 旧緑屋イトーヨーカ堂→ヨークフーズうめばち本陣跡②新開橋跡安田貯蓄日本貯蓄→協和跡十五↓三井跡水面跡街道筋宿場町足立↓興国↓安田貯蓄跡旧長崎屋旧緑屋ダイエー跡深田↓愛知↓東海跡足立成和千住↓昭和跡昭和↓安田↓富士跡中井↓昭和跡中千住駅跡芸大橋戸町橋戸河岸ファイナンス 2025 Sep. 51NTT東京メトロ千住検車区(旧隅田川駅の一部)図 3 市街図荒川を境に「南足立郡千住町」と「北豊島郡南千住町」に分かれた。町制施行後の最高地価の表示は単に千住町となるが、町制以前の表示は一段絞り込まれ「千住宿中組」となっている。明治に入り、開宿時の本宿を北組、万治元年に加宿された掃部宿、河原町、橋戸町を中組、荒川から南を南組とした。これが現在の北千住、南千住という呼称の由来となった。かつては中千住と中千住駅もあったのだ。昭和 7 年(1932)東京市の区となると最高地価地点はさらに絞り込まれ千住河原町となる。戦前は河原町の問屋街が街の中心だったのだ。河原町の北側の掃部宿には当地初の銀行となる千住銀行があった。明治 30 年(1897)の設立。千住町の町金庫業務を任されていたが、大正 13 年(1924)に古河銀行に買収され消滅した。本連載の行田市編に登場した中井銀行もあった。本店は日本橋で千住の他、草加、越ケ谷、粕壁(春日部)、杉戸の日光街道沿いに支店網を展開していた。千住支店は大正9年(1920)3 月に開店した。昭和 3 年(1928)3 月に営業譲渡され昭和銀行になった。熊谷堤の北側、現在の足立成和信用金庫の場所には大正 2 年(1913)3 月に深田銀行千住支店が開設された。昭和 3 年 2 月に愛知銀行に買収され、昭和 16 年(1941)6 月に東海銀行となった。三菱 UFJ 銀行の前身行の 1 つである。やや北の千住四丁目には明治 33 年(1900)に足立銀行が開店している。興国銀行、日本共済銀行を経て宮崎県に移転し、佐土原貯蓄銀行となった。現在の宮崎銀行の源流行の 1 つである。跡地には安田貯蓄銀行の支店が大正 11 年(1922)11 月に出店した。戦後協和銀行を経てりそな銀行に至る。明治 29 年(1896)12 月、千住宿の北と南に北千住駅、南千住駅が開業した。現在の東北本線および高崎線を基幹路線としていた日本鉄道の土浦線の駅である。現在の常磐線だが、当時の起点は田端駅だった。卍卍卍卍卍卍卍卍卍卍卍卍掃部堤跡鉄道の時代−常磐線と隅田川駅図 2 昭和 5 年の問屋配置図 (出所)令和 7 年 8 月 17 日に筆者撮影(出所)筆者作成卍卍

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