連載各地の話題 南九州市おわりに〔「特攻の母」と「納税おばさん」〕特攻隊員とトメさん:現富屋旅館広間前(写真提供:富屋旅館)講話の様子(写真提供:富屋旅館)ファイナンス 2025 Aug. 57出撃が決まった隊員からお願いをされることも多かったようです。検閲が厳しい時代でしたが、「家族に手紙を出してほしい」という隊員の願いを聞き入れ、彼らの代わりに手紙を出しました。そして、静かにその出撃を見送りました。その温かさと献身さからトメさんは「特攻の母」と呼ばれるようになりました。昭和 20 年 8 月 15 日、太平洋戦争は終わりました。トメさんは「彼らの命の供養と感謝をもってこの国の発展・平和を願う」の想いから飛行場跡地に棒杭を建て、供養のため祈りを捧げ続けました。戦後、知覧では米軍の進駐もあり特攻のことに口を閉ざす町民も多かったのですが、トメさんは供養し続けました。トメさんは、特攻隊員の慰霊と平和の願いを込めた活動に尽力し、最終的に多くの方々の賛同のもと、飛行場跡地に観音堂が建立されるにいたりました。「特攻の母」と呼ばれているトメさんは戦後、「納税貯蓄」の活動に尽力されます。毎日夕方になると、「納税は、日掛け、月掛け、心掛け」の掛け声とともに知覧の町を回り、納税のための日掛け集金活動を行いました。現在の「納税貯蓄組合」活動にあたります。この活動からいつしか「納税おばさん」と呼ばれるようになったそうです。「税金は国を流れる血。この血が足らなくても、汚れても、また澱んでも国は成り立たないんだ」これがトメさんの信念であり口ぐせでした。トメさんは、「社会のため、国のため、子供たちの将来のため」と熱心に活動された功績が認められ、昭和 38 年には熊本国税局長納税表彰を受賞されたほか、昭和 55 年には知覧税務署の一日税務署長も務められました。トメさんは平成 4 年に他界されましたが、「富屋旅館」(トメさんが昭和 27 年に開業)の 3 代目女将である鳥濵初代さん(トメさんの孫嫁)がトメさんの意思を引き継ぎ、トメさんから受け継いだ「想い」や「税の大切さ」など、トメさんが後世に託した願いを、語り部として多くの人に伝えておられます。美しい山々と海の風景、受け継がれてきた暮らし、そして過去に向き合いながら未来を見つめる姿勢。南九州市には、自然と人々の営み、そして平和への願いが調和する空気があります。今回は知覧税務署が位置する南九州市に特化して紹介させていただきましたが、管内にはまだまだ紹介しきれない魅力がたくさんあります。管内はいずれの市も豊かな自然に恵まれ、平和の尊さを伝える歴史も深く息づいており、戦争という悲しい過去に向き合いながら、その教訓、その時代の人々の気持ちを後世に語り継ぐ取組も行われています。皆さんにも是非訪れていただき、それぞれの市がもつ魅力を感じていただきたいと思います。平和とお茶のまち、知覧で皆様のお越しをお待ちしております。
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