特攻の母と税金〔川辺仏壇〕〔番所鼻自然公園〕〔川辺二日市〕知覧特攻平和会館(写真提供:鹿児島県南□地域振興局)川辺二日市(写真提供:南九州市商工会)番所鼻公園(写真提供:鹿児島県南□地域振興局)各地の話題連載各地の話題 56 ファイナンス 2025 Aug.悲劇が繰り返されぬよう、戦争の悲惨さ、平和や命の尊さを教えてくれます。また、あまり知られてはいませんが、知覧税務署管内の南さつま市にはもう一つの特攻基地「万世(ばんせい)飛行場」がありました。太平洋戦争末期、陸軍最後の特攻基地としてわずか 4 カ月しか使われなかったことから「幻の基地」とも呼ばれています。200 人近い特攻隊員がこの地から飛び立っており、17 歳という若い隊員も特攻作戦に参加しています。毎年、二月の第一土曜と日曜に開催される鹿児島県内三大市の一つです。江戸時代天明年間に周囲の農民たちがワラ細工や竹製品を持ち寄った市が始まりとされており230 年以上の歴史があります。当日は、川辺町のメインストリートが歩行者天国となり、1.3キロメートルに約 400 店舗が軒を連ねます。毎年、15 万人以上が訪れるとても活気のあるイベントとなっております。川辺町を流れる清水川沿いの岸壁には鎌倉時代から摩崖仏が刻まれてきました。昔から地元の人たちになじみがあり、信仰心の篤い土地柄でもあったことから南九州市川辺町は古くから仏壇の産地として栄えてきました。昭和 50 年には全国の仏壇産地に先駆けて国の伝統工芸品にも指定されています。「番所(ばんどころ)」とは、警備や見張りのために設置された施設のことを言います。この公園は、以前海上の監視をするための薩摩藩の海上警備の番所がありました。「薩摩富士」と称される開聞岳と東シナ海に面する荒々しい岩礁地帯を一望できます。江戸時代、日本地図作成のために立ち寄った伊能忠敬から「天下の絶景」と称えられ、伊能もそのロケーションに感動したとも言われています。また、近くには日本で唯一のタツノオトシゴ養殖場である「タツノオトシゴハウス」もあり、癒しのスポットとしても知られています。太平洋戦争中、知覧町で「富屋食堂」を営んでいた「鳥濱トメ」という人物について紹介します。「富屋食堂」は陸軍の指定食堂として多くの特攻隊員が訪れました。「特攻隊」の最前線基地である知覧で、トメさんは多くの隊員に親しまれ、出撃を待つ若者たちを我が子のように慈しみました。温かい食事とトメさんの優しさは隊員らの心の支えとなりました。トメさんは、
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