ファイナンス 2025年8月号 No.717
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キャリアブレイク=CAREER BREAKというブラインドコミュニケーター石井 健介写真撮影:小禄慎一郎言葉は、一般的にはBREAK=休憩や中断という文脈で使われることが多く、今の仕事から次の仕事に転職するまでに時間を設けリフレッシュしたり学び直しの時間をとることなのだが、さてこのキャリアという言葉は仕事に限ってだけ使われるものではない。それはその人がこれまで生きてきた経歴のことであり、積み重ねた実地の経験でもある。必ずしも職歴や出世に紐づいた言葉ではないのだ。僕のキャリアブレイクは 2016 年の 4 月のある朝、前ぶれもなく訪れた。朝目覚めると、目が見えなくなっていたのだ。この場合の BREAK は休息ではなく「破壊」だった。新卒からアパレルやインテリア業界に携わり、その後フリーランスの企画 / 営業として独立。当時3 歳の娘と生まれて3ヶ月の息子がおり、さぁこれからさらに頑張るぞと意気込んでいた矢先の出来事だった。このキャリアの詳細については拙著(「見えない世界で見えてきたこと」光文社)に譲るが、職歴どころか人生が一転してしまう出来事が起こったのだ。僕のように人生の途中で、障害や病気、その他さまざまな理由でキャリアブレイクを迎える人も大勢いることだろう。もしかしたら、これを読んでくださっている方の身近にもいるかもしれないし、あなた自身がその当事者になる可能性も除外することはできない。ご存じの通り、人生はいつ何が起こるかわからないものなのだ。「桃栗三年、柿八年」ということわざがあるが、視覚障害者になってから9 年と4ヶ月も経つとなにかしらの実を結ぶものだ。僕は 2021年からブラインドコミュニケーターという肩書きを肩に引っ提げ活動を始めた。この肩書きは僕がつくった言葉で、見える世界と見えない世界、その二つの世界をポップに繋ぐためのワークショップや企業研修、はたまたポッドキャスト番組のパーソナリティ、映画におけるアクセシビリティの一つであるオーディオディスクリプションの制作など多岐にわたって仕事をしている。それぞれが、視力を失ってから手に入れた新しい視点がきっかけとなり生まれたものだが、「ノービジョン・ダンジョン」というワークショップは大阪・関西万博で約 1週間展示開催し、TBS ポッドキャスト「見えないわたしの、聞けば見えてくるラジオ」は第 5 回 JAPAN PODCAST AWARD のメディアクリエイティブ賞にノミネートもされた。それまで生きてきた約 37年の経験と、視力を失ってからの経験をシェーカーに入れ、小気味よく振った結果出来上がったカクテルの味が、今の自分が出せる持ち味なのだ。キャリアが壊れてしまい、強制的に休まざるをえない状況をどう受容し、そこからどう復元していくのかは個人のレジリエンスに委ねられるが、それと同時に社会の側にもそれを受容するための力や柔軟性が求められているのではないだろうか。社会と自分の間に生まれた障害を受容し、さあこれからまた仕事をするぞと思っていても、社会の側にそれを受け入れる土壌がなければ、その種は芽吹くこともできず、何年経っても実を結ぶことはない。この社会とはつまり、あなた自身でもある。多様性や公平性、そして包括された社会が大切なのだと言われて久しいが、その前に自分の中に柔軟性がなければ、それらを概念として理解できていたとしても受容することは難しいだろう。でも、その柔軟性を自分の内側に培っておけば、不意に望まぬキャリアブレイクが訪れた時にも、自らを助けてくれるはずである。ファイナンス 2025 Aug. 1転ばぬ先の柔軟性巻頭言

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