ファイナンス 2025年8月号 No.717
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卍喜多院連雀町中央通札の辻三和鍛冶町南町新田町西町多摩湖鉄道(現・西武多摩湖線)馬車鉄道跡舟運から鉄道へ狭山青梅卍卍卍卍卍卍蓮馨市駅)から飯能や青梅まで馬車鉄道が敷設され、連絡できるようになった。川越鉄道の出資者に川越の人たちはいなかったが、背景には、舟運との競合関係があったと考えられる。明治 39 年(1906)、川越と大宮を結ぶ川越電気鉄道が開通した。鉄道と電力会社が未分化だった時代である。経営母体は東京電力の前身の 1 つにあたり、旧川越久保町駅に隣接する発電所の跡地は現在東京電力パワーグリッド川越支社となっている。後の電力再編において、武蔵水電の時代に川越鉄道を合併卍卍妙養の開通によって、これら地域は川越を経由する必要性が低くなった。川越から所沢まで“く”の字の路線形状である。開通して数年後、頂部の入間川駅(現在の狭山菓子屋横丁卍卍養寿院時の鐘黒田書店跡川越城跡飯能狭山湖1894~青梅鉄道(現・JR青梅線)川越1895~川越鉄道(現・西武新宿線~国分寺線)1914~東上鉄道(現・東武東上線)所沢多摩湖東村山駅1915~武蔵野鉄道(現・西武池袋線)西武鉄道村山線1927~(現・新宿線)国分寺駅1889~甲武鉄道(現・JR中央線)1906~41川越電気鉄道跡大宮久保町駅跡勧業ファイナンス 2025 Aug. 29森田生花店渡邊旧武州富士高澤町多賀町商業旧85旧山吉→丸広ニチイ跡PePe旧ヨ-カド-本川越丸井跡旧長崎屋川越駅路線価でひもとく街の歴史連載路線価でひもとく街の歴史 本町市役所大手門36西友跡丸広 駐車場旧丸井アトレマルヒロ図 3 市街図川越市駅水路跡街道筋図 2 広域図入間(出所)筆者作成。旧町名表記(出所)地理院地図 vector に筆者が加筆して作成アオフィスの「りそなコエドテラス」に改装された。同行の「産業創出」、「まちの賑わい創出」の戦略拠点だ。第八十五銀行は戦時中の昭和 18 年(1943)、忍商業銀行、飯能銀行そして浦和に本店を構えていた武州銀行と合併して埼玉銀行となった。平成の金融再編を経て平成 15 年(2003)に埼玉りそな銀行となった。界隈では、明治 29 年(1896)7 月、鐘楼「時の鐘」がシンボルの多賀町で川越商業銀行が開業している。大正 10 年(1921)、武州銀行に買収されて同行川越支店となった。札の辻には昭和 20 年(1945)11 月、三和銀行が開店している。舟運から鉄道に交通の主役が移るにつれて、川越の中心は駅に向かってゆっくりと南下していく。川越に初めて乗り入れた鉄道は明治 28 年(1895)の川越鉄道である。起点の川越駅、現在の西武鉄道本川越駅は 3 月 21 日の開業で、今年 130 周年を迎えた。JR 中央線の前身、甲武鉄道の支線として運用され、南下して国分寺駅に接続していた。東村山駅までは西武新宿線、東村山駅から国分寺駅までは西武国分寺線に重なる。現在の西武鉄道の路線網で最も古い。国分寺駅から甲武鉄道に乗り入れ、当時のターミナル駅だった飯田町駅に行くことができた。飯田町駅とは後の飯田町貨物駅で、廃駅後に再開発されて現在はアイガーデンエアとなっている。新河岸川の舟運で栄えていた川越にとって、鉄道は自らの拠点機能の低下につながる。鉄道以前、川越の集荷圏は狭山、飯能から青梅に及んでいた。川越鉄道

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