ファイナンス 2025年7月号 No.716
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連載海外 ウォッチャー*4) その後の初回レビューで融資総額が 570 億ドルまで拡大されますが、4 次レビューを終えて約 450 億ドル相当までディスバースが行われた後、政権交代後の 2020 年 9 月にプログラムがキャンセルされました。(当初は 2021 年まで 12 回のレビューを予定)フリードマンの「インフレは常に貨幣的現象」という言葉も多用し、通貨を増発しない限りインフレは起こらないとしています。こうした考え方が「中央銀行廃止」という主張に集約されていますが、一方で具体的なタイムスパンを示して近い将来に中央銀行を廃止する、あるいはその機能を停止するといった主張は今のところしていません。後述する「ドル化」と同様、長い時間軸の中で達成を目指す目標だと思われます。ミレイ氏は従来の政治勢力への批判を取り込んで支持を拡大していくのですが、ここでは支持拡大の背景を探るべく、アルゼンチンの歴史について簡単に振り返るとともに、2023 年大統領選挙直前の経済状況について説明します。アルゼンチン(と日本)の経済について語る際、そして日本とアルゼンチンだ」という発言がよく取り上げられますが、20 世紀に急成長して発展途上国から先進国になった日本と対照的に、アルゼンチンは経済的に混乱・停滞し続けることとなります。19 世紀後半から 20 世紀初頭までは広大かつ肥沃なとで繁栄を享受し、多くの移民を引き付けました。しかし農地開拓が一区切りすると地主となれない移民も増え、世界恐慌と世界大戦により欧米諸国への輸出も伸び悩み、外部要因に依存する脆弱性が顕在化します。第二次世界大戦後の 1946 年に労働者層を支持基盤としてペロン政権が発足すると、国内産業保護や外資企業の国営化を進めますが、産業の競争力低下や財政赤字の拡大を招きます。1955 年にペロン政権がクーデターで倒れた後は、軍事政権の下での自由化・対外開放政策と、急進党(UCR)やペロン氏の流れを継ぐ正義党(ペロン党)政権の下での産業保護・貿易抑制政策の間を行き来しつつも、抜本的な構造改革や財政赤字解消はなされず、経済的な混乱が続きます。フォークランド(アルゼンチンでの呼び方はマルビーナス)紛争後に民政移管で発足した急進党のアルフォンシン政権でそうしたひずみが爆発して、1989年には年率 5,000%を超えるハイパーインフレに見舞われます。1990 年代には、メネム政権がインフレ抑制のために 1 ドル= 1 ペソの兌換性を導入するとともに、ペロン党政権であるにも関わらず国営企業の民営化など自由主義・対外開放的な経済政策を実施します。当初はインフレ抑制など経済の安定を実現するものの、次第に輸出競争力の低下や対外債務の拡大を招き、メネム大統領退任後は政治的な混乱も重なって、2001 年には史上最悪ともされるデフォルトを宣言。国外送金規制や預金凍結にまで波及する、大きな混乱と深刻な景気低迷を招きます。2003 年に発足したキルチネル政権は、民営化された企業を再国有化するなどメネム政権下の自由主義経済政策を見直し、当初はコモディティブームを背景に好調な経済を築くものの、夫人のクリスティーナ・フェルナンデス氏が 2007 年に大統領を引き継いでからは低迷します。2015 年に発足した非ペロン党(共和国提案(PRO))のマクリ政権は対外開放政策を進めるものの、財政改革や構造改革が十分に伴っていなかったこともあり、2018 年に新興国全般で発生した為替危機を受けて資本流出に直面し、IMF から史上最大となる 500 億ドル相当の融資を受けます。*42019 年の大統領選挙で発足したフェルナンデス政権は、マクリ政権下で実施された対外開放政策の揺り戻しとなる政策を打ち出します。しかし、長引くコロナ対応に苦慮するとともに、国際金融市場へのアクセスを失って対外債務再編の問題に直面し、2020 年 5月にはアルゼンチン史上 9 回目とされるデフォルトを迎えます。当時のグスマン経済相の交渉の結果、同年9 月には民間債務の再編に成功し、また 2022 年 3 月には IMF との間で、マクリ政権で受けた融資を実質的に1971 年にノーベル経済学賞を受賞したグズネッツの「世界には 4 種類の国がある。先進国、発展途上国、「パンパ」の農産品をヨーロッパや米国に輸出するこ 70 ファイナンス 2025 Jul.(2)フェルナンデス政権の経済運営(1)「4 種類の国」 3 3 アルゼンチン経済の混迷の歴史

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