ファイナンス 2025年7月号 No.716
70/108

(出所)筆者作成図 3 街の起承転結Copyright © 2025 Daiwa Institute of Research Ltd. All rights reserved.•街道と水路•御屋敷町•町家と職人町•水路埋め立て•道路の拡幅•商店街・デパートバイパス・高速道路IC•ショッピングセンター•拠点病院•アリーナ・スタジアム•新興住宅地再び徒歩の時代へ•街路と水辺の再生•時間消費型のまち•街なか居住•体験型店舗•アリーナ・スタジアム•基幹図書館等城下町シャッター街城下町 2.0河岸・街道の拠点駅前郊外バイパス拠点シャッター街駅前(昭和の都会)流出再統合河川街道中心地12鉄道新・中心地3自動車の時代ネット通販の時代徒歩と舟運の時代鉄道の時代街の範囲新・中心地211公園転結起承連載路線価でひもとく街の歴史(GMS)だった。地元百貨店が店を構える伝統的な中「スーパー」とはいえ地方店は上階に大食堂を備えたダイエーやジャスコをはじめとする総合スーパー心街と、駅前の 2 核構造になった。駅前の新興勢力は大衆路線と大規模店で差別化を図った。中心街と駅前の立地間競争は商業の業態間競争でもあった。2 核のライバル関係が高じて、商店街や百貨店は全盛期を迎える。鉄道やバスで街に出て、駅を降りれば駅前大通り。百貨店を核に商店街が人であふれる昭和の都会の風景だ。ふりかえれば GMS の影響は大きかった。多層階の大店舗である。競合上地元百貨店は大衆路線に舵を切り、GMS との区別が曖昧になる。両者まとめて「デパート」と呼ばれるようになった。「転」は自動車の時代である。従来の街を迂回するようにバイパス・高速道路ができ、郊外バイパス拠点に新しい街が形成された。商業施設や拠点病院、アリーナ・スタジアムが移転し、元の中心部が空洞化してしまう。中心街や駅前はシャッター街になった。ロードサイド集積は 1980 年代から見られたが、当時は日用品が中心であり、中心商店街との棲み分けがあった。変化が顕著になったのは 90 年代後半である。GMS 勢が中心市街地に見切りをつけ、郊外バイパス拠点へ移転した。ショッピングセンター(SC)の出店が相次いだ(図 3)。売場面積の「相場」が数万 m2クラスに「高騰」する中、既成市街地でさらなる大規模化には限界があった。団塊ジュニア世代が免許を取得し、一家に一台から一人一台へ自家用車が普及したのも 90 年代である。平成 12 年(2000)に大店法が廃止され、中心市街地の商業面積に匹敵する巨艦モールが出現した。シャッター街化が進んだのはこの頃である。「デパート」化した地元百貨店も自動車の時代の立地の不利を覆すのは難しかった。興味深いのは、鉄道の時代も自動車の時代も、鉄道や自動車の登場が都市デザインに波及するまで世代単位のタイムラグがあったことである。タイムラグに着眼するのは、自動車の時代の次をネット通販の時代としているからだ。インターネットが登場して約 30 年経ち、まさに足下でネット通販に対応した都市デザインの変化が起きている。ネット通販は交通手段ではないが、移動の概念を変え、人流への影響が大きいこと車社会とシャッター街という「転」 66 ファイナンス 2025 Jul.発展史の「結」としての城下町 2.0

元のページ  ../index.html#70

このブックを見る