ファイナンス 2025年7月号 No.716
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SPOT 新発田龍史 審議官に聞く、金融庁の過去と現在た不良債権を徹底的に洗い出し、処理することが当時は求められていました。「半沢直樹」の世界に出てくる強面の検査官のイメージはその頃のものでしょう。銀行の財務の健全性を確保することが至上命題にならざるを得なかった結果として、銀行には余計なことをやらせないという意識が 2000 年代当初の当局になかったかと言われれば、否定できないかもしれません。それは治療に専念することで、集中治療室から早く出て、健康体になってもらって海外の金融機関とサービスを競い合うようになってもらいたいという気持ちの裏返しであったことも事実です。ただ、実際には、主要行の不良債権比率が半減して、マクロの金融危機の問題が一応の収束を見た頃、金融庁は、保険の不払いのような利用者保護にもとる問題に取り組んでいくことになるわけです。この頃私は保険課で課長補佐をしていましたが、8ヶ月の在任期間の間に 30 件近い行政処分を行いました。こうした当局の姿勢が一部から「金融処分庁」と揶揄されたのも事実です。金融をスポーツに例えるなら、金融機関というプレイヤーが活躍してなんぼの世界だと思います。皆が見たいのは、本来は、エースストライカーがシュートを打った、ゴールキーパーがスーパーセーブをしたということのはずです。レフェリーに焦点があたり、何枚レッドカードを出したかが一面の記事になるような状況に違和感を覚え、プレイヤーの活躍が観客を沸かせるような世界に早く戻らないといけないと思っていました。服部:銀行業界の変化を受けて、金融庁の役割も変わってきたということですね。新発田:金融庁の使命の一つは、当時も今も変わらず、金融システムの安定を守ることですが、金融危機から四半世紀以上が経ち、金融システムの安定を守るということの意味を問い直していく必要があると思います。つまり、経済が大きくなっていく局面では、拡大するニーズに金融が応えていく中で、金融の拡大が暴走することのないよう、リスク管理の高度化を求めたり、マクロでのリスクの分散という観点から、銀行セクターにリスクが集中する金融システムを改め、証券市場等の役割を大きくしたりすることなどに取り組んできたわけです。しかし、現在のように日本経済、とりわけ地方経済が縮小傾向にある時、これまで通りの対応で十分と言えるのでしょうか。例えば地方で人口や事業者が減っていくなかで、地域金融機関の将来はジリ貧だという悲観的な議論があります。金融機関の健全性が重要であることはもちろんですが、自らの財務諸表の健全性を気にするあまり、地域経済・企業へのリスクマネーの供給をためらって、事業の基盤である地域経済が縮小することを座視していれば、結局のところ「国破れて地銀在り」となって自らの持続可能性にも影響しかねないという点をどう考えるのかということだと思います。地域金融機関が実体経済の成長に胡坐をかくような時代はとっくの昔に終わっており、今後は、自らの能力を最大限発揮して、地域に主体的・能動的に働きかけ、そのポテンシャルをひき出すことが求められているともいえます。金融の役割を考える上で、新しいビジネスの種になるようなことに、もう少し金融機関が関わっても良いのではないか、ということです。たとえば、銀行からお金を借りる必要性を感じていない企業は規模の大小にかかわらず全体の 1/3 程度あると言われていますが、そういった企業も、事業承継などに課題を抱えています。そのような企業が後継者不足で黒字廃業するのは地域にとってもマイナスです。このような問題に対し、金融機関ができることがあるならば、たとえば自らのネットワークや資金力を背景に、後継者探しを行ったり、支援のために一時的に出資したりすることもやっていいのではないか、ということです。服部:役所の場合、時代に合わせて方向転換を成し遂げることは容易ではなかったと思います。新発田:自分の印象に残っているのは 2004 年 10 月です。UFJ 銀行の検査忌避問題、そして同行の大口融資先であるダイエーが産業再生機構による支援を要請という出来事が起こり、不良債権問題がまさにクライマックスを迎えました。14 日の日経の朝刊 1 面に、ダイエーが産業再生機構に支援を要請する、という記事と並んで、西武鉄道が上場廃止基準に抵触することをおそれ、有価証券報告書における株主名義について虚偽の記載を行っていたことが発覚し、堤義明氏がグループの全役職を辞任することが報じられました。自分はたまたまこの時、副大臣の秘書官として仕事をしていましたが、副大臣が当時の市場課長を呼び、ファイナンス 2025 Jul. 35

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