ファイナンス 2025年7月号 No.716
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SPOT服部:金融庁の変革という観点で、私が印象に残っているのは、2016 年に出た『捨てられる銀行』という新書です。この書籍は当時の森信親金融庁長官による改革を取り上げた書籍であり、非常に話題になりました。例えば、検査マニュアルを廃止して金融改革を実現した森信親金融庁長官の取り組みについて書かれています。新発田:金融庁改革に森信親さんが果たした役割は極めて大きいと思います。ただ、その改革には布石があって、歴史を振り返ると、2000 年代後半に長官に就任された佐藤隆文さんが、「ベター・レギュレーション」を掲げ、プリンシプルとルールの適切な組み合わせによる金融行政の質の向上を唱えるといった取組みが前史としてあったのも事実です。不良債権問題が収束したのち、金融庁のミッションの再定義がなされました。私たち金融行政官の究極的な目的は、国民の厚生の増大であり、金融システムの安定や金融機関の健全性確保は、金融の円滑と並ぶ中間的な目標であり、絶えず両者のバランスをとらなければならないということです。わかりやすく言えば、例えば、コロナの時、一時的な要因で売り上げがなくなり、また、お客さんがいなくなってしまったことで事業者の方の財務の状況が厳しくなりました。そんな状況下で、金融機関に対して厳しい検査を行って、その瞬間だけを見て貸出債権の回収可能性を判断することには常識的に考えればやはり違和感があると思います。業況が良くないことが一時的な要因であることが明らかな場合や、国から補助金等の支援が見込まれている場合は、そういった要素も勘案して金融機関に貸出の可否を考えてもらう必要があり、そうすることが日本の経済にとって最も良い結果になるのだと思います。その意味で、検査も監督も、過去に起きたことばかり見たり、個別の問題点ばかりあげつらったりして、ただ厳しいことを言っていてもダメで、将来や全体を見据えて本質的な議論をしなければなりません。このように、検査・監督のこれまでの手法が、時代の変化に応じてアップデートされないと存在意義が失われてしまいます。金融検査マニュアルの廃止は、そうした問題意識の反映です。服部:金融検査マニュアルとは、金融庁の検査官が金融機関を検査する際に用いる手引書のことですよね。新発田:そうです。厳格な検査による不良債権問題の収束という過去の成功体験へのこだわり、あるいは過剰適応により、仕事のモデルを変えることに難しさはあったのだと思います。しかし、重箱の隅をつつくような検査ではなく、もっとダイナミックに、本質的な課題を金融機関の方々と議論する方向に変わっていくことになりました。服部:ドラマ「半沢直樹」では、検査官の厳しい姿勢が描かれました。かつての金融庁がガチガチに縛るというイメージだったのでしょうか。新発田:戦後の金融システムは、長期の設備投資資金を供給する長期信用銀行と、都市銀行、地方銀行、信託銀行、そして中小企業向け金融機関である信用金庫等、という形で、専門性に応じて規制による間仕切りを設け、資金不足の中で、限られた資金資源が円滑に配分されるよう競争を抑制する仕組みとなっていました。監督当局であった大蔵省はその仕組みの中で、金融秩序の維持という目的のため、パターナリスティックに監督を行っていました。「護送船団行政」と言われていたのはこの頃の話です。しかしながら、経済成長の過程で間接金融から直接金融のウェイトが高まる中で、海外での展開を含めて規制緩和が求められるようになりました。また金融を取り巻く環境が大きく変化していく中で、当局と金融機関の間の情報の非対称性が拡大し、従来型の監督では限界があるし、イノベーションを阻害しかねないことも認識されました。そうしたことから、1991 年に金融制度改革がなされ、銀行が証券会社を子会社で持つことや、その逆に証券会社が子会社に銀行を持つことが可能となり、さらにその後、持株会社方式によるグループ化も認められました。規制緩和とセットで、金融機関による高度なリスク管理と自己規律を求める代わりに、当局の役割を、こうした市場メカニズムを補完するものに転換しようとしていたのが、金融システム改革の思想だったと思います。ところが、1990 年代後半以降の金融危機は、そうした動きを一変させてしまいました。まさに不良債権問題の解決が「一丁目一番地」になったわけですが、経済再生のためにも銀行のバランスシートに隠れてい 34 ファイナンス 2025 Jul.金融庁の改革

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