SPOT1993 年、東京大学法学部卒業後、大蔵省に入省。金融庁監督局銀行第一課長、銀行第二課長等を経て、2024 年より現職。1997 年コロンビア大学国際公共政策大学院修了。2008 年、一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了後、野村證券に入社。2016 年、財務省財務総合政策研究所を経て、2020 年に東京大学に移籍し、現在に至る。経済学博士(一橋大学)を取得。ビックバン」が打ち出され、様々な規制緩和や改革が進み、現在に至っています。新発田審議官は 1993 年に大蔵省に入省され、大蔵省時代から金融行政に携わっており、金融庁設立以降、金融庁に長く勤務されています。金融庁は比較的新しい組織といえますが、新発田審議官は大蔵省時代、金融庁設立から現在までを経験されており、金融庁での経験が最も長い官僚の一人だと思います。新発田審議官のご自身のキャリアを聞くことが金融庁の組織の理解にもつながると思うので、まず、新発田審議官ご自身のキャリアからお聞かせいただけないでしょうか。新発田:長けりゃ良いというわけでもないと思いますが(笑)、役人人生の 2/3 近くの時間、金融行政に携わってきたことになります。それとは別に、金融庁に移る前、財務省の総合政策課で日銀の金融政策への対応を担当したこともあります。当時は、ゼロ金利政策解除、量的緩和の導入といった政策変更の節目となる大きなイベントが起きた頃ですが、こうしたものも含めれば金融との関わり合いはもっと多いと思います。服部:新発田審議官が大蔵省に所属されていた当時は、銀行局もご経験されていますよね。新発田:はい、米国留学から帰ってきて、銀行局調査課の係長として金融ビッグバンの法制化の取りまとめを担当することになりました。1997 年の夏です。当初は、金融持株会社の設立を解禁する法制を担当するチームの一員として法案提出ロジや国会対応等に取り組んでいましたが、1997 年の 11 月になって、金融危機が深刻化しました。今の若い人にとっては、「金融危機」というと 2008年のリーマンショックを想起される方が多いと思います。リーマンショック当時は、毎週のようにアメリカの金融機関が次々と破綻しましたが、それと同じことが 1997 年 11 月に日本で起こっていました。そんな2000 年に設立されましたが、その前の金融行政は大1990 年代後半に金融行政が大蔵省から金融庁へ分離金融庁による金融行政や歴史については、金融の実務家等からの関心が高い一方で、その概要を明らかにした文献は必ずしも多いとはいえません。そこで本稿では、金融庁での経験が長い新発田審議官との対談を通じて、金融庁および金融行政の過去と現在に迫ります。服部:本日はよろしくお願いいたします。金融庁は蔵省が担っていました。大蔵省の不祥事等を経て、されました。金融セクターでは、戦後段階的に規制緩和が進んでいきますが、特に 1996 年に成立した橋本内閣により、フリー(市場原理が働く自由な市場)、フェア(透明で信頼できる市場)、グローバル(国際的で時代を先取りする市場)の理念を掲げた「金融 30 ファイナンス 2025 Jul.金融庁 新発田 龍史/東京大学 服部 孝洋本インタビューの目的新発田審議官の大蔵省入省以降のキャリア[プロフィール]新発田龍史 企画市場局審議官服部孝洋 東京大学公共政策大学院特任准教授新発田龍史 審議官に聞く、 金融庁の過去と現在
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