SPOT前回改正時(1974年3月)前回改正時(1974年3月)79.8 8045.39070605040301970 1972 1974 1976 1978 1980 1982 1984 1986 1988 1990 1992 1994 1996 1998 2000 2002 2004 2006 2008 2010 2012 2014 2016 2018 2020 2022 2024(出所) 日本銀行「企業物価指数」、同「企業向けサービス価格指数」、内閣府「消費者物価指数」(注1) 企業向けサービス価格指標は、1985年より統計開始。(注2) いずれの指標も2020年(暦年平均)を「100」としている。30.013020.012010.011000.010090.080.070.060.050.040.030.01970 1972 1974 1976 1978 1980 1982 1984 1986 1988 1990 1992 1994 1996 1998 2000 2002 2004 2006 2008 2010 2012 2014 2016 2018 2020 2022 2024(出所) 日本銀行「企業物価指数」、同「企業向けサービス価格指数」、内閣府「消費者物価指数」(注1) 企業向けサービス価格指標は、1985年より統計開始。(注2) いずれの指標も2020年(暦年平均)を「100」としている。125.3125.3111.2111.2108.8108.894.379.8 45.394.3消費者物価指数企業向けサービス価格指数2025年1月2025年1月予決令は、戦後の会計法の制定を受けて、日本国憲法の施行を目前に控えた昭和 22 年 4 月に発布された勅令である。このとき、少額随契の基準額は、例えば工事又は製造については 7 万円以下と定められたが、戦後のインフレに対応するため翌 23 年には 50 万円に引き上げられ、その後も物価の上昇等を踏まえて 100万円、150 万円、250 万円と順次引上げが行われてきた。250 万円への引上げが行われたのは、1974 年の予決令改正によってである(表 1)。なぜ、その後半世紀もの間、見直しが行われてこなかったのか。「なぜ一定の行政上の意思決定を行わなかったのか」について、特に数十年前の資料は残っておらず判然としないものの、物価があまり上昇しなかったことが主要因であろう。戦後の基準額の見直しにあたっては、主として企業物価指数の動向を踏まえて行われてきたが、同指数は 1980 年代初頭をピークとして、その後下落ないし横ばい傾向が長らく続いてきた。第二次石油危機の際には同指数が急上昇したが、当時は特例公債依存から脱却すべく、第二次臨時行政調査会(いわゆる土光臨調)が立ち上げられ、増税なき財政再建の実現に向けて徹底した行政経費の節減が求められていたこともあると考えられる*3。現在、この状況は大きく変化しつつある。足元の企業物価指数は、上昇局面への転換点である 2021 年と比較して約 1.2 倍、前回改定時の 1974 年と比較すると約 1.6 倍に増加している(図 1)。国会においても少額随契の基準額引上げが議論されるようにもなった。そこで、昨年財務省において各省庁契約担当部局にアンケートを実施したところ、「人手不足や仕様の複雑化等により円滑な調達の実施が困難になっていると感じるか」との質問に対して約 75%が「感じる」と回答、その改善策としてほぼ全ての省庁少額随契の基準額の引上げを要望するという結果であった。予算が成立すると歳出予算は各省各庁の長に配賦され、各省各庁の長が契約担当官として契約に関する事務を管理する。実際にはさらに本省又は支分部局における各部署の職員に事務が委任され、部署ごとに契約が行われており、その件数も膨大に上る。このため、国の契約の全貌を把握するという取組みは長らく行われてこなかった。ところが、平成 16 年以降、国の契約における不適企業向けサービス価格指数企業物価指数企業物価指数消費者物価指数(2)基準額の見直しの経緯3.国の契約における契約方式別の状況 16 ファイナンス 2025 Jun.(図 1)1970 年以降の物価水準の推移*3) 臨時行政調査会最終答申(「行政改革に関する第五次答申」(昭和 58 年 3 月 14 日))の第 7 章で予算・会計・財政投融資についての提言が行われている。ここでは、公共工事請負契約についてとりわけ指名競争契約の改善に主眼が置かれており、随意契約については業者との癒着等の弊害除去や要件該当性の適切な確認を求めるにとどまっており、少額随契への明示的な言及はなされていない。
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