ファイナンス 2025年5月号 No.714
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吉都線(旧日豊本線)西都城駅大淀川図2 広域図 ちょうむた田町連載路線価でひもとく街の歴史73/11~旧ダイエー08/12~イオンモール都城駅前店舗面積 28,000㎡03/4~イオン都城SC同21,823㎡都城IC最高路線価地点は10年前から歓楽街集客拠点は百貨店から図書館・広場へ宮崎自動車道沖水橋区画整理(出所)地理院地図vectorに筆者が加筆して作成 82 ファイナンス 2025 May.(通称:旭サービス)が店舗を購入し営業を引き継い(1995)、ナカムラデバートは閉店しホテルに転換。12月、ダイエーが「イオンモール都城駅前」に転換48年当時に席巻した大型店はすべてなくなった。図3り鹿児島湾岸に抜ける現・日豊本線が完成するまでは現在の吉都線が日豊本線だった。さて、都城の場合、昭和50年(1975)前後から駅前が発展したが、中町・上町の地位を脅かすほどではなかった。区画整理が完成に近づいても地主は建物の新築に及び腰で空き地も多かった。駅前の橘百貨店はハイクラスの商品構成とした戦略ミスもあり、開店2年で閉店。延岡に本拠を置いていた旭化成サービスだ。ダイエーはマイカー客が多く、駅前にあっても実態的に駅前立地ではなかった。昭和53年(1978)10月9日の日経流通新聞の見出しに「中心商店街沈まず 固定客を安全弁に 広がった商圏に救われる」とあった。中町・上町の最高路線価は平成4年(1992)にピークを迎える。両町は昭和31年以来同価格だったが、この年、僅かに中町が上町を上回った。いずれにせよ、両方とも翌年以降20年以上にわたって下落傾向をたどる。昭和56年(1981)に宮崎自動車道が開通し都城ICができた。都城ICと中心部をつなぐ国道10号線に沿ってロードサイド店が増えてきた。図3の通り、中町・上町が下落に転じても、沖水橋近辺のロードサイド拠点の地価は90年代を通じて上昇を続けていた。この間をふりかえると、平成7年駅前の旭化成サービスは閉店した。平成14年(2002)、寿屋が閉店。現在はオフィスビルになっている。さらに平成15年(2003)4月、イオン都城ショッピングセンター(SC)が開店した。平成20年(2008)した。市街地の南北の郊外大型店がイオン系となった。最後まで残った都城大丸だが、平成23年(2011)に閉店を余儀なくされた。旧ダイエーを除き、昭和右側は都城大丸の閉店以降の路線価の動きを示している。中心市街地を中町、上町、牟沖水橋近辺は2010年代早々に下げ止まり、下落が止まらない中町を平成27年(2015)に追い越すこととなった。次に下げ止まったのは牟田町で、平成26年(2014)に中町と交代して以来11年連続で最高路線価地点である。宮崎市の西橘通りに次ぐ歓楽街で、宮崎市の通称ニシタチに対し、ムタマチと呼ばれる。昨年1月は牟田町が1m2当たり61千円、沖水橋が同57千円。中町が同53千円、駅前は同51千円だった。他方、中心市街地の巻き返し策として中央東部区画整理事業が進められていた(図1)。商業拠点として6階建の共同ビルを整備し、核店舗として都城大丸が入るプランがあった。しかしこのプランは断念され、代わりに都城大丸単独で低層モールを建てることになっ73/10~橘百貨店→旭サービス跡都城跡の3つに分けた。

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