ファイナンス 2025年5月号 No.714
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FINANCE LIBRARYFINANCE LIBRARYライブラリー 評者ファイナンス 2025 May. 77講談社学術文庫 2011年3月 定価 本体800円+税めた(浜口は首相就任後、真相の公表を見送っている)。浜口が本書で特に紙幅を割いているのは、東京駅でのテロ前後のこと、そして政党政治への思いである。当時の政党は汚職や醜聞が相次ぎ、買収、議事妨害・乱闘も繰り広げられる中、浜口は自らの信条として「強く正しく明るき政治」を訴えた。本書でも「政治をして国民道徳の最高標準たらしめん」と説き、「政党政治信用の□復」の責任を自負している。そして、以下のように語る。「世人、代議政治を目して、或は衆愚政治と謂い、或は平凡政治と謂い、甚しきに至っては衆醜政治であると謂うものがある。或はそれが本当であるかも知れぬ。或はその極端の反対なる衆賢政治となり得るかも知れぬ。政党政治は、少く共我が国に於ては、今の所、大切なる試験時代である」「此の試験に及第するか否か、これは政党の領袖及び党員の人々と一般国民の政治道徳の進歩とに俟たなければならぬ」「此の試験には相当長い年月を要するであろう。又長い年月をかけて改善しなければならぬ」時の野党・政友会(犬養毅、鳩山一郎等)は統帥権干犯問題で海軍軍令部や枢密院と結託した。テロの負傷から癒えない浜口に執拗に議会出席を求め、衰弱させた。いずれも党利党略から倒閣を期したものだった。本書で浜口は議会審議の「亡状」「醜態」を嘆く。浜口の退陣によって政党政治は瀕死に陥る。政友会は原敬、民政党は浜口の後、然るべき指導者を欠いた。満州事変は浜口の死の翌月に勃発する。戦前の政党政治は何よりも政党自身によって自滅した。本年は戦後80年を迎え、昭和100年にも当たる。日本の政党政治は戦後に再出発したが、浜口の言葉は今も重く響く。浜口が言うように、政党政治の「試験」には「相当長い年月を要する」のかもしれない。大蔵官僚出身で、浜口雄幸ほど国民に敬愛された政治家もいないだろう。謹厳実直、そして努力の人であった。その経歴は異色である。入省3年目の会計課で大蔵大臣官舎の修繕を巡って秘書官と対立する。そのため地方に飛ばされ、各地の税務管理局長等を転々とする。先輩の若槻礼次郎の計らいもあり、6年後、やっと大蔵省に復帰したが、そこは専売局だった。複雑な思いを抱きつつも、9年間、煙草製造の専売化や塩田整理に地道に取り組み、専売局長官となる。浜口の専売局での仕事ぶりを評価したのは身内の大蔵省ではなく、後藤新平だった。後藤の逓信相就任に伴い、「三顧の礼」で逓信次官に抜擢される。これが後に大蔵次官就任、更に政界転身への契機となる。本書はこうした浜口が首相就任後に「感想の湧くに随って書付けたもの」であり、浜口の死の翌月(1931年9月)に出版され、飛ぶように売れたという。その誠実で虚飾のない語り口からは、浜口の人となりや政治理念が率直に伝わってくる。例えば、随所で「努力と修養」の重要性を説いている。自らを「生来極めて平凡な人間」と評し、「余の六十一年の人生は余の人格の修養と性格の短所の矯正とに向っての大努力大苦闘の継続であった」と述べているのは、政官それぞれでの「苦節」を思わせる。本書は「政治上の記事を目的としない」と断ってはいるが、ロンドン海軍軍縮条約については、米英首脳とともに行ったラジオ演説の全文を掲載し、「聊か余の満足するところ」と記すなど、高揚感が見て取れる。また、金解禁に際して「明日伸びんがために今日縮む」と国民に真摯に説いた浜口は、「半可通の無責任なる経済財政論」は「広く世人を誤り国家に甚大なる害毒を流すもの」と批判する。他方、田中義一前首相時代の張作霖爆殺については、田中との引継の際に「談話が交換された」と記すにとど随感録浜口 雄幸 著杉山 真

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