1.はじめに2.此花区の概要3.此花区の歴史大阪港全景 提供:大阪港湾局2025年4月13日から10月13日までの間、大阪市此花区の夢洲において2025年日本国際博覧会(大阪・関西万博)が開催されます。税関では、大阪・関西万博の開催に伴う税関手続に係る行政需要に対応するため、2024年11月、大阪税関国際博覧会出張所を設置し、2025年2月からは大阪・関西万博会場内において業務を行っています。本稿では、此花区、大阪・関西万博、国際博覧会と税関との関係等について紹介します。大阪市此花区は、大阪市の中部西端に位置する大阪市24区中2番目の面積を占める区です。北側は淀川を挟み西淀川区に面し、南側は安治川を挟み港区・西区に面し、東側は福島区に接し、西側は大阪湾に面しており、沖合には埋め立てにより造成された舞洲と、大阪・関西万博の開催地であり大阪税関国際博覧会出張所が所在する夢洲があります。此花区の名称の由来は、1925年、新区(此花区)が設立される際の市会における議論の結果、応神天皇の時代(4世紀)に百済から日本に渡来し、漢字や儒教などの学問を広めた王仁(わに)が詠んだと伝えられる古歌「難波津に咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花」から引用して名づけられたようです。此花区一帯は、かつては漁業が盛んに行われていたようですが、明治中期からは、その水利を活かし、工場が相次いで建設され、大正期に入ると財閥系企業を中心に大規模な開発が行われ、大正後期には、当時、東洋一と言われた春日出発電所も建設され、阪神工業地帯の中心的地位を担うようになりました。昭和初期には、工業用地の造成を目的に埋め立て造成が始まり、更なる開発が進められたようですが、戦争の進行に伴い、軍需工場が増加したことにより、度重なる空襲を受けるとともに、台風などの水害のため一旦は荒廃してしまったようです。戦後は、「西六社」と呼ばれた企業(住友電工、住友金属、住友化学、日立造船、大阪ガス、汽車製造)の進出などにより、再度、徐々に復興が進み、我が国の高度経済成長を支える重化学工業を中心とした臨海工業地帯として発展してきました。しかし、1980年代に入ると、産業構造の転換、海外への生産拠点の移転に伴い、重工業の工場事業は縮小 78 ファイナンス 2025 Apr.大阪税関国際博覧会出張所長小林 昌弘大阪・関西万博の開催地〜区制100周年を迎える大阪市此花区〜大阪市此花区各地の話題連載各地の話題
元のページ ../index.html#82