すいじょうよしもえぎすけ(出所)令和7年3月7日に筆者撮影日本遺産の認定図5 旧忍町信用組合(ヴェールカフェ)プロフィール大和総研主任研究員 鈴木 文彦城公之助の44路線価でひもとく街の歴史連載路線価でひもとく街の歴史 「和装文化の足元を支え続ける足袋蔵のまち行田」というストーリーの下、現在45の構成文化財が認定されている。忍城跡をはじめ十万石ふくさや本店、旧忍貯金銀行、旧イサミ足袋本舗工場の他、街なかに点在する足袋蔵も構成文化財である。日本遺産が認定された年の秋にTBS日曜劇場「陸王」が始まった。ナイロン靴下の普及で衰退した足袋文化だが、戦前から衣服製造業等への多角化が進められ現在に至る。「陸王」は老舗足袋メーカーが開発するマラソン足袋の名前だ。リニューアルが進む水城公園に目を引く萌館がある。下見板コロニアル様式と呼ばれる、大正11年(1922)8月築の旧忍町信用組合本店である。忍町信用組合は埼玉縣信用金庫(埼信)の源流の1つである。大正7年(1918)、地元足袋店主の出資の下、後に2代目組合長となる村上義立された。昭和23年(1948)、県下8つの信組と統合して埼玉縣信用組合統合に尽力した村上義之助が埼信の初代理事長になった。旧本店は埼信の行田支店となったが後に八幡町に移転。建物は洋食店の老舗だった朝日亭に買収され、その後賃貸ビルになっていた。平成28年(2016)12月に市指定有形文化財となったことを契機に市が受贈し、水城公園に移築保存することになった。これも日本遺産の構成文化財の1つだ。前までに概ね埋められていたが、網目のような水路の形で残っていた。そうした水路も下水道整備に伴ってほぼ埋め立てられた。南端の沼を残して都市公園に仕立てられたものが昭和39年(1964)開設の水園である。園内の「しのぶ池」が外堀由来の沼だ。最高路線価地点は本町の丁字路だったが、鉄道利用者の増加とともに街の重心は少しずつ駅前に移動していく。昭和38年(1963)に駅前再開発が始まった。昭和45年(1970)には駅正面から本町に向けて伸びる幅18mの「中央通り」が開通。本町の丁字路が十字路になった。昭和50年(1975)11月、中央通りに、全国チェーンの総合スーパー「ニチイ」の行田店が開店した。当地で初めての大型店と駅を引力に、中央通りがストローとなって本町から人流を引き寄せた。そして昭和57年(1982)には最高路線価地点が「ナショナルの田島駅前通り」となった。地点名は駅前通りとあるが現在の中央通りだ。時期を同じくして車社会化も始まった。国道17号線の熊谷バイパスが昭和48年(1973)5月、市街地の北側を迂回する国道125号線の行田バイパスも昭和58年(1983)にそれぞれ一部開通し、年が下るごとに区間を延ばしていった。ロードサイド店も増えてきた。スーパーの忠実屋が平成元年(1989)10月に開店、その後ダイエーに転じる。平成5年(1993)には最高路線価地点がJR行田駅前に移った。駅前とはいえ周辺は元々田園地帯だった地域を昭和40~50年代に開発した郊外都市である。平成6年(1994)、熊谷バイパスが全線4車線化。翌年の平成7年、行田市駅前のニチイが撤退を余儀なくされた。その12年後の平成19年(2007)、行田バイパス沿いにイオンモール羽生がオープンする。商業施設面積88,208m2の巨艦店だ。平成29年度(2017)、行田市に「日本遺産」が付与された。日本遺産とは、わが国の文化・伝統を語るストーリーとともに有形無形の文化財の群を文化庁が認定する地域ブランドである。平成27年度(2015)の創設で、令和2年6月まで104件が認定され、今年2月、5年ぶりに1つ増えて105件となった。行田市が認定されたのは全国41番目で埼玉県では唯一である。(制度発足後に信金)となる。葱色の洋が中心となって設ファイナンス 2025 Apr. 69仙台市出身、1993年七十七銀行入行。東北財務局上席専門調査員(2004-06年)出向等を経て2008年から大和総研。主著に「公民連携パークマネジメント:人を集め都市の価値を高める仕組み」(学芸出版社)
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