ファイナンス 2025年4月号 No.713
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SPOT (近松の「好色一代男」にも登場する、1637年から300年間も出版され続けたという「源氏物語湖月抄」の「桐壺」の部分 湖月抄 [1] - 国立国会図書館デジタルコレクション)源氏物語とその世界(下)正・僧都・律師は僧綱と総称され、朝廷における公卿にも比すべき地位だった。…天皇との個人的な関係を示す肩書も存在し…その一つが護持僧」、「常に天皇のそばに仕え、天皇個人の身体を様々な危険から防ぐための祈祷を行う、護持僧と呼ばれる僧侶が出現…護持僧を経て僧綱へ昇進するというルート」があったという。瀬戸内寂聴も「この大長編小説は、…唐突に終わっている」という、この壮大な物語にしては意外なエンディング。帖のタイトルも登場する和歌とも関係のない不思議な付け方。「王朝の貴族」によると「その構想の大きさ、文章の巧妙さ、正確な写実の中にも夢を含ませた味わいの深さ、そして何よりも心理描写のゆきとどいていることなど、あらゆる面でそれまでの物語は圧倒されてしまう。いらい日本の文学の類は物語は言うに及ばず、和歌・連歌・謡曲・俳諧から近世の草双紙に至るまで、源氏物語の影響を受けない分野はなく、国文学史上最高の地位を千年間にわたって確保している」という。以下、『源氏物語講座 第八巻 諸本・源泉・影響・研究史』、「源氏物語の本文と受容 源氏物語講座8」等により、この物語がその後、どのように享受されてきたかを辿ると、この物語の影響の大きさが伺い知れる。物語の写本は「限りなく多」く、「平安時代の末から鎌倉時代にかけて、既に六本の著名な存在」が知られ、更に鎌倉時代の二本、京極中納言定家本(別名、青表紙本)「定家卿本」と、「河内本」(北条実時書写の本)があるという。「足利将軍家、更に豊臣秀吉に伝来し、大阪落城と共に、徳川家康の手を経て、尾張徳川家の有に帰した」河内本は、徳川美術館の徳川家康旧蔵書。「紫式部日記」でも、寛弘五年(1008)11月1日、道長の娘中宮彰子の第一皇子誕生五十日の祝いの折に、藤原公任が『あなかしここのわたりにわかむらさきはさぶらふ』と式部にたわむれたとあるから、貴族男子も読み、「更科日記」の作者は『源氏物語』五十余巻を伯母に貰った時、「引き出つつ…見るここち、后の位も何にかはせむ。」と貴族の女性を夢中にさせた。鎌倉時代以降は武士、江戸時代には活字本により町人にも広がる。延宝元年(1637)には、その後300年間、明治・大正になっても出版され続けた『湖月抄』」が出版。契沖の『源註拾遺』、賀茂真淵の『源氏物語新釈』、本居宣長の『源氏物語玉の小櫛』」などの注釈も出る。井原西鶴の「好色一代男」は、「『源氏物語』の翻案あるいは模倣」と言われ、主人公世之介は「好色にかかわることのみに関してはいかに『さとうかしこくおはす』(源氏・桐壺)かが次々と具体化される。これが万事に聡明な光源氏を描く『桐壺』の一節を契機に、その道に関してのみ聡明な」主人公を「可笑しく描きあげ」ているという。本居宣長は「今のよにあまねく用ふるは湖月抄なり」と『源氏物語玉の小櫛』」に記したが、『「好色一代男』には、ある太夫(最上級の遊女)に源氏物語を借りに人を遣わしたら、写本ではなく、版本の湖月抄をおくられて、「此の里の太夫もすえになるかな。…『源氏物語』は版本ではなくしかるべき写本で読むものだというような意識があり、遊女の太夫の品格が落ちたことをそれによって象徴させた」場面があるという。松尾芭蕉も「源氏物語」の影響を強く受けたと言われ「奥の細道」にも「…たそがれの路たどたどし。…いずれの年にか、江戸に来りて…。市中密かに引入れて、あやしの小家に、夕顔・へちまのはえかかりて…さては此のうちにこそと門を叩かば、侘しげなる女の出て…」というくだりが「『藤浦葉』…、『桐壺』…『夕顔』の光源氏が夕顔を訪れる場面を踏まえている」ファイナンス 2025 Apr. 53(55)夢浮橋(1)文学4 物語の様々な分野への影響

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