ファイナンス 2025年4月号 No.713
55/92

SPOT (秋の冷たい雨が降る中、薫は浮舟の隠れ家を突然訪ね、待つ間に歌を詠む。藤原隆能 著 ほか『源氏物語絵巻』,徳川美術館,昭11. 源氏物語絵巻 - 国立国会図書館デジタルコレクション)源氏物語とその世界(下)その浮舟の母は娘を認知してもらえず、常陸守の受領の妻となり、多くの子がいる。浮舟に良い婿をとろうとして、縁組が決まるが、浮舟が継子と知って、受領の財力を当てにしていた男は怒り、仲人の提案で「なあに、構うものか、相手を乗りかえよう」と言い、「受領は『少将殿が真心から愛してやって下さるなら、大臣の位を望まれて、その運動費に、世にまたとない財宝を使い果たそうともならる時にも、当方ではすべてのものを御用立ていたしましょう』(瀬戸内寂聴訳)と答え、相手を代えて受領の実子と結婚。受領の財力について。「王朝の貴族」によると、「できるだけのものを集め、中央に出すものは極力口実を設けてごまかし、一方では直接権門に取り入って心証を良くし、将来の栄達を図るというのが、当時の受領全般の風潮…。なかでも道長に対する受領のサービスはたいへんなもので、道長の御堂関白記にも、諸国司からいろいろの物、ことに馬を贈られた記事が数多く見えている。…莫大な品々を道長邸に運び入れ、人々は道路に群集してこれを見物した」という。また、「天皇と摂政・関白」によると、「明らかに道長主導で任命された受領」は6人程いて、「いずれも道長の家司(家政職員)であり、彼らが任国からもたらす富を道長家の家政にとりこむための人事である。このうち近江守となった…人物は、その後、大宰大弐となり」、「小右記」には、彼が任を終えて帰京したときには、「九国二島(九州全体…)の物、底を掃ひて奪い取る」と評されている」という。怒った母は中の君の邸に浮舟を連れてきて、匂宮を垣間見て「その美しさに驚嘆する」とともに宮の前では貧相な男を婿に選んだことを恥じる。薫も宮に劣らぬ美しさなのに驚く。中の君の屋敷にいる浮舟を匂宮が見つけて口説く乳母がガード。事情を聞いた母が別の家に移すと、薫はそこを訪れる。突然の訪問で待たされる間、「葎がおひ茂つて門を鎖しているせいであらうか、あまり長い間雨だれの落ちる中で待たせることよ」(谷崎潤一郎訳)と詠む。亡くなった大君によく似た浮舟と一夜を共にし、満足して宇治に連れて行く。中の君の邸にいた女(浮舟)を忘れられない匂宮の目の前で、浮舟から中の君への手紙が届く。探りを入れると、薫が浮舟を宇治に住まわせていることがわかり、宮はこっそり宇治へ行き、覗き見る。薫と勘違いした女房が匂宮を中に入れてしまい、匂宮は浮舟を手に入れてしまう。雪の中、再び宇治を訪れた匂宮。浮舟は情熱的な訪れに心を奪われ、月の輝く宇治川を小舟で渡る途中、浮舟は「橘の小島の緑の色は千年も変わらないでございませうが、波に浮いている此の舟は何處へただようてまいりますのやら、行く方もわかりませぬ」(谷崎潤一郎訳)と詠み、対岸の家来の家で二日を過ごす。やがて、二人の関係を薫は知り、二人は浮舟を京都に呼んでいつでも逢えるように準備をする。二人の貴公子の間で身の置き所のなくなった浮舟は宇治川に身を投げる。皇族と臣下の女性を巡る争いといえば、「王朝の貴族」によると、道長と権力を争った甥の藤原伊周が通う女性に「花山院が通い始めた。…弟の隆家に相談を持ちかけ…隆家は…法皇が帰る所をおどかしてもうこりごりとさせるのがねらいだったのだろう、従者に矢をいかけさせ…矢は見事に法皇の袖を射抜いた」という。これが伊周失脚の原因となるが、花山院が通っていたのは伊周の思い人の妹だったという。そんな藤原隆家だが、道長は意外と気に入っていたようだ。「大鏡」にも「天下のやんちゃ坊主」と言われていたというが、「殊の外、肚ができている」と世人に思われていたという。伊周の騒動に連座して、出雲権守になったが、伊周が許されて京都に戻ったおりに、中納言に再任され、道長の賀茂神社参拝のおりに「後方に隆家卿がいらっファイナンス 2025 Apr. 51(51) 東屋「さしとむる葎やしげき東屋のあまり程ふる雨そそぎかな」(52) 浮舟「たちばなの小島はいろも変わらじをこの浮舟ぞゆくへ知られぬ」

元のページ  ../index.html#55

このブックを見る