図3 旧第三国立銀行松江支店図2 市街図(出所)筆者作成マルイ(アピア跡)くにびき大橋赤十字一畑電車イオン松江(旧サティ)学園通り小泉八雲旧居街道筋水路跡武家屋敷群県民会館一畑跡勧銀殿町八束雲陽実業→旧合銀旧日銀第□→安田京橋末次本町市役所松江大橋合銀山陰貯蓄跡山陰貯蓄→安田→勧銀松江市総合体育館くにびきメッセピノ↓一畑跡八軒屋町卍卍卍卍卍卍卍卍卍卍卍卍卍卍卍卍卍卍卍卍卍卍卍卍卍卍卍卍卍卍ジャスコ跡米子、倉吉、境港にも支店があった。島根県には今市(出雲市の中心部)、西郷(隠岐の島)にも支店があり、大正12年(1923)に安田銀行と合流した時点の店舗網は東京3、神奈川2、大阪6、函館、山陰7だった。明治34年(1901)まで島根県金庫の任を預かるなど山陰に根を下ろしていた。明治37年(1904)に建てられた土蔵造りの行舎が現存している(図3)。昭和20年(1945)4月、後継の安田銀行が天神町にあった旧山陰貯蓄銀行の行舎に移転した後、「かげやま呉服店」が店舗を引き継いで現在に至る。安田銀行は戦後に改称して富士銀行となり、昭和44年(1969)、日本勧業銀行に行舎と営業を譲渡して撤退した。安田銀行が行舎を譲り受けた山陰貯蓄銀行は明治29年(1896)4月の設立で白潟本町にあった。天神町に行舎を新築して移転したのは大正4年(1915)である。富士銀行が行舎を譲渡した日本勧業銀行は明治31年(1898)に創業した松江農工銀行が前身で殿町にあった。山陰合同銀行は、松江銀行と宍道湖西岸の出雲エリアを発祥とする雲陽実業銀行が統合して1県1行となり、さらに鳥取県西部を地盤とする米子銀行が統合して成立した銀行である。このうち松江銀行は明治22年(1889)8月の創業で、当初は天神町にあったが、何うしても忘れられない――速くて、陽気で音楽的で、盛んな舞踏の音のやうだ」の一節だ。京橋河岸の「カラコロ広場」をはじめ、市内のまちづくり施設につけられた「カラコロ」はこの一節に由来する。小泉八雲ことラフカディオ・ハーンは明治24年(1891)6月から5ヶ月間松江の屋敷に起居していた。今秋から始まるNHK朝ドラ「ばけばけ」は松江藩小泉家の次女、小泉セツと小泉八雲をモデルにした話だ。銀行は両町に集中していた。例えば、松江初の銀行は三井銀行で末次本町にあった。早々に撤退し、明治17年(1884)6月に第三国立銀行が進出。三井銀行が担っていた県の公金業務を引き継いだ。松江にも明治11年(1878)創業の第七十九国立銀行があったが、業績が振るわず明治34年(1901)に営業停止している。第三国立銀行は明治9年(1876)の開業でみずほ銀行の源流の1つである。現在のみずほ銀行小舟町支店の場所に本店を構え、大阪、横浜に次ぐ3番目の支店を松江に置いた。明治30年(1897)に鳥取県を地盤とする第八十二銀行を統合したため、鳥取、宍道湖大橋川北部土地区画整理事業ファイナンス 2025 Mar. 65(出所)令和7年1月28日に筆者撮影。図4も同じ路線価でひもとく街の歴史連載路線価でひもとく街の歴史 県庁京橋川松江城
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