ファイナンス 2025年3月号 No.712
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SPOT 46 ファイナンス 2025 Mar.スの事例研究は、理論モデルを確立する域には達していないものの、競争を継続して歴史に決着を委ねるという経験則を示唆する。シャピロは二大政党制の強化という実践的提言を行い、リバタリアンは所有に基づく最小国家を構想する。ワイルのQVは、少数派の保護を図る優れた投票メカニズムである。しかしながら、マディソンの伝統には、メカニズムを根底で支える規範やルールを可能にするものに触れていないという欠点があった。QVは、そもそも社会的連帯を欠いている社会では決して導入されないだろう。競争は社会に存在する連帯を傷つけ、やせ衰えさせることがある。レベツキーとジブラットが描いた通り、現在の二党間の競争は、互いの存亡をかけた闘いであるかのような様相を呈している。社会的連帯こそが、ルソーとマディソンの伝統がともに機能する前提条件であることが強調されて然るべきである。格差の是正は連帯を壊す要因に直接働きかけるだけではない。再分配は連帯の境界のなかでしか起こらない。イエール大学の経済学者ジョン・ローマー(John Roemer)は、社会的連帯の先にカントの定言命法に基づく社会を構想している(Roemer, を汝の意志によって普遍的自然法則とならしめようとするかのように行為せよ」と定式化される。ローマーはこの命法をカント・プロトコールと呼び、「他のすべての人も取ることを自分が支持するであろう行動のみを、人は取るべきである」と翻案する。ローマーは、カント・プロトコールをナッシュ・プロトコール、すなわち「他人の行動を所与として、自分の効用を最大化する選択をするべきである」と対置する。ナッシュ・プロトコールに基づく時、ただ乗りや共有地の悲劇という社会問題が発生するのに対し、カント・プロトコールに基づく場合、効率的な解に到達する。ローマーはカント・プロトコールの例として「私が寄付をすれば、私に似たすべての他者も同様に寄付するだろう」という魔術的思考を挙げる。確かにこの魔術的思考に基づいて人々が行動するなら、充分な寄付が集まるだろう。問題は、実際に人々がカント・プロトコールに基づいて行動するのかということである。ローマーとその共同研究者はイエスと答える。彼らは、六か国の麻疹ワクチンの接種データに基づき、その高い接種率は人々がナッシュ行為者である場合には説明がつかず、人々がカント行為者である時にはじめて説明可能であると指摘する(De Donder et al. 2022)。カント・プロトコールが進化の過程で生き残ることを示す、他の研究者の論文(Alger and Weibull, 2013, 2016)もある。カント・プロトコールは現に人々の間に根付いているのかもしれない。この認識に基づき、ローマーは、社会のエートスをナッシュ・プロトコールからカント・プロトコールに切り替えることを現実的な課題として捉えている。ローマーは、そのような状態に近い社会の実例として北欧を挙げる。そして、教育や組合などの社会制度を活用することで、社会的連帯のエートスを社会に行き渡らせることを提言する。筆者のみるところ、必要なことはルソーとマディソンの伝統を組み合わせることである。人々が対話し、社会的連帯を作り出すという経路を持つ点で、ルソーの伝統は優れていている。しかしながら、対話をしても、直ちに望ましい合意が得られるとは限らない。多様な利害と価値を持った人々が共存できる、マディソンの抑制均衡のシステムを社会は備える必要がある。このように肌合いの異なる二つの社会構想の並走のなかから、社会の発展と安定の両方を追求することのうちにしか、アメリカ社会が存続する道はない*18。社会的連帯については、北欧のような連帯が、アメリカで容易ではないことは言うまでもない。アメリカは今後も概ねカントの国であるよりも、ナッシュの国でありつづけるだろう。それでも、ナッシュ行為者であることと、カント行為者であることは常に矛盾するわけではない。経済的プレイヤーとしてナッシュ行為者である者が同時に、市民として、さらには人としてカント行為者であることは可能である。対話による一致と競争による抑制均衡、生き馬の目を抜くナッシュ・プロトコールと根底におけるカント・プロトコールの共有。「多数でできた一つ(E Pluribus Unum)」とは、2019, 2021)。カントの定言命法は「汝の行為の格率*18) 本稿で競争の伝統に位置付けたワイルとRadicalxChangeは、QVとQFに加え、人々の間での対話を支援するPolisというソフトを組み合わせたパッケージを推奨している。Polisは台湾のVTaiwanでも活用されたソフトで、意見の分布を視覚化することで、異なる意見の間の橋渡しや融合を促し、多数派の形成を促すという(Tang, 2019)。

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