ファイナンス 2025年3月号 No.712
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SPOT 42 ファイナンス 2025 Mar.(注)この表では、自然状態も社会契約の一種と整理している。(出典)Hiromitsu(2024)社会契約-健常者と障害者は、各々独立して最大化。説明-健常者は、障害者に比べて、より働き、より消費し、より高い効用を得る。社会状態-運の平等主義の見地からみた、不正な状態を放置。自然状態-政府が健常者と障害者の消費を均等化させるべく再配分することを前提に、各々が最大化。-健常者も障害者も社会契約のうちで最低水準の労働(生産も最低水準)-健常者の効用は障害者の効用さえも下回る(健常者は実質的奴隷状態にある)財の平等財と余暇の平等(運の平等)-政府が他人(e.g.,健常者からみた障害者)の消費・余暇が自分(e.g.,健常者)と等しくなるよう配分することを前提に、各々が最大化。-健常者と障害者は同じだけ働き、同じだけ消費し、均等な効用を享受。-社会の効用の合計は、自然状態、財の平等の時よりも増加。-実質的奴隷状態は生じていない。-効用の合計が最大になるよう、健常者、障害者の消費・余暇を個別に政府が指示。-社会の効用の合計は最大。-健常者は、他の社会契約に比べ、より一層働くよう指令を受け、その生産物を障害者に移転。-健常者は強制労働を課せられ、障害者よりも効用も低く、真の奴隷状態にある。功利主義常者の効用は障害者を下回らないから、実質的奴隷状態は生じていない。4)功利主義のもとでは、効用の合計は最大となる。健常者は、他の社会契約に比べ、より一層働くよう政府から指示され、生産した財を障害者に移転する。健常者は強制労働を課せられ、障害者よりも効用は低く、真の奴隷状態にある。表3.4:社会契約とその社会状態さて、これら四つの社会契約のうち、生まれる前の魂はいずれを選ぶか。ひとつの考え方は、ジョン・ハーサニ(Harsanyi, 1976)のように、期待効用仮説を取ることである。出生前の魂があるものとして、出生後の各境遇の実現する確率に応じて計算する期待効用を最大化する社会契約を選択するのである。期待効用仮説に基づくと、功利主義の社会契約が選ばれる。この結論は、期待効用の最大化という見地からみる限り、論破困難なものであり、正当なものでもある。しかしながら、運の平等主義は、もとより功利主義とは別の正義観に基づく。たとえ効用の合計で劣るとしても、運の平等の見地からより望ましい契約を擁護することは可能である。我々は、期待効用論者のように個人の期待効用の大小を問題にするのではなく、人々の間の関係が正義に適ったものであるかどうかを問題にすることができる。功利主義のもとでの健常者の奴隷状態にあらわれている自由の欠如は、選択の自由を尊重する運の平等主義の受け容れるところではない。出生前の魂が自由で平等な社会で生きたいと望み、自由と平等の実現の程度を選択の基準とするならば、四つの社会契約のうち最も優れた契約は財と余暇の平等(運の平等)である。自然状態は生まれの違いを放置し、不正である。財の平等は健常者の実質的奴隷状態を生み、おまけに社会を全体として貧しくしてしまう。そして、功利主義は健常者を奴隷化する。奴隷状態を含む社会契約が遵守される見込みがないことにも注意を向けたい。出生後に健常者となった者は自分が奴隷状態にあると気づけば、反乱を企てるであろう。出生前の人々が自由で平等な社会で生きたいと望んでいると想定することは、論点先取りであり、社会契約論の意義を棄損するものであるとの批判を受けるであろうか。この批判に対する最小限の反論として、出生前の人々が期待効用を最大化したいと望むとの想定も論点先取りであることに変わりない、と述べることが可能である。しかしながら、この反論は控え目過ぎるのである。社会契約は他者との契約であり、他者とどのような社会関係に入りたいかという考えなしに合意するものではない。人々は単に個人的効用の大小のみではなく、契約の含意する自他の関係が正義に適ったものであるかを考慮するのであり、期待効用最大化の想定が、このような自他の関係への考慮を欠くのは重大な難点なのである。運の平等主義は、本人に責任のない不遇に対し、保険を提供するが、その保険は個人の期待効用の最大化に基づく私的保険ではない。どのような社会の成員でありたいかという考えを共有する者たちの間の社会的連帯に基づく、社会保険として提供されるのである。

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