SPOT る。どのような規制が好ましいかは、我々が同胞の市民に何を負うかによって決まる。税制についてのポジティブな主張をするには、追加の倫理的議論が必要である。格差問題を取り上げた際(第一回)に指摘した通り、市場所得の再分配はアメリカでは人気のない考えである。代わって支持を集めているのがハッカーの事前配分(pre-distribution)である(Hacker, 2011)。バイデン政権のイエレンは、関税障壁と産業政策の組み合わせを「現代供給サイド経済学」と銘打ったが、これは事前の配分のひとつの姿であった。しかしながら、事前の配分は勤労を重んずるアメリカ人の感性に順応するだけで、その感性そのものを変えるものではない。アメリカのリベラルは、再配分を人々に受容してもらうため、より深いところで働きかけている。ロールズの無知のベール(Rawls, 1971)、ドウォーキンによる選択運と自然運の区別(運の平等主義)(Dworkin, 2000)は、そのような働きかけの結晶であった。無知のベールは、財産や人種など社会属性を取り除いた地点から、どのような社会に住みたいかを考えるよう迫る。運の平等主義は、本人に責任のない自然運による不遇に、救済の手を差し伸べる。生まれの条件に恵まれない子どもは、不遇の最たるものである。これらの取り組みは、社会で受け継がれ、所与のものとみなされてきた不平等に反省を迫る。運が悪ければ、自分も不遇であったかもしれないと想起することで、社会的連帯はその深度と範囲を拡充する(運の平等主義による社会的連帯の拡充については、コラム3.8を参照)。アメリカにみる社会科学の実践(第六回、最終回)ファイナンス 2025 Mar. 41あるとみなす。アメリカでの格差は大きく、人種問題もあり、富裕な者が困窮者との社会的連帯を持つことが難しい。運の平等主義は、そのような社会で再分配の基礎となる社会的連帯を作り出す。ビスマルク型の社会保険も、その根底には社会的連帯がある。社会保険の国でも、運の平等主義は社会的連帯を活性化するとともに、これまで社会保険のカバーしてこなかった領域に社会保険を適用する可能性を広げる。例えば、どの家庭に生まれるかは、その子どもに責任のない自然運である。ただ、生まれる前、その子どもは社会保険料を払うことはできず、どんな不遇な家庭環境に生まれ落ちても、社会保険はその子どもを救うことはできない。運の平等主義は、リスクが現実化する以前の状況に立ち戻ることで、保険の考えをより広い社会領域へと行き渡らせる手がかりとなる。出生前の子どもの直面するリスクに仮想的に保険を提供するという思考実験を通じ、これらの子どもにセーフティネットを提供する根拠を作り出す。運の平等主義は、他の正義の理論と比べて優れているのか。優れているとしたら、どう優れているのか。筆者は、Hiromitsu (2024)で、この問題を簡便なモデルを用いて考察した。生まれる前の魂があるとして、次の四つの社会契約からひとつを選択する状況を考える。1)自然状態、2)財の平等、3)財と余暇の平等、4)功利主義の四つである。人には生産能力に障害を負って生まれるリスクがある。1)自然状態では、健常者(として生まれた者)と障害者(として生まれた者)の間の再分配はない。2)財の平等では、財(消費)の配分のみを平等化する。3)財と余暇の平等では、財と時間の消費を等しくする。この契約が運の平等に相当する。4)功利主義では、健常者と障害者の効用の合計が最大になるよう、政府が健常者、障害者に財と余暇の分量を指示する。表3.4は、契約の説明、社会契約の生み出す社会状態を整理したものである。まず、1)自然状態では、健常者は、障害者に比べ、より働き、より消費し、より高い効用を得る。自然状態は、運の平等主義の見地からみた不正な状態を放置する。2)財の平等のもとでは、健常者も障害者も、いずれの社会契約のうちでもっとも働かない。社会全体の生産は最低水準となる。興味深いことに、障害者の効用が(自然状態よりも)増加するのに対し、健常者の効用は減少し、障害者の効用を下回る。健常者は労働を直接強いられているわけではないものの、実質的に健常者の奴隷化がおこなわれている*15。3)財と余暇の平等(運の平等)のもとでは、健常者と障害者は同じだけ働き、同じだけ消費し、均等な効用を享受する。効用の合計は、自然状態、財の平等のケースよりも増加する。健*15) 1) 財の移転が生じていることのみではなく、2) 財の移転元の効用が財の移転先の効用を下回るという要件を満たす時にはじめて、実質的奴隷状態に*15コラム3.8:運の平等主義、社会的連帯、そして社会保険
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