ファイナンス 2025年3月号 No.712
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SPOT の1標準偏差分の違いが、2020年3月21日時点で2%のより多くの死、4月11日では9%の死亡増につながっていたという。(第五回でみた)チェンらの研究(Bauer et al., 2023)の示唆する通り、政治的集団志向を持つ者は好みの情報を好んで消費する傾向がある。陰謀論(conspiracy theory)に至ると、個別の事実誤認の域を超え、ワクチンなどに関する誤った信念体系を抱く者があらわれる。行動経済学者のダン・アリエリー(Dan Ariely、デューク大学)は、ワクチンに関する陰謀論者から攻撃を受けた自身の経験から、陰謀論について一冊の本を書いた(Ariely, 2023)。アリエリーは、陰謀論の隆盛の背景として、ストレス耐性や動機付けされた推論への傾向などパーソナリティの要因に加え、陰謀論を信ずる者同士が交流し、互いの信念を確証することを可能とする情報環境の変化を挙げる。チェンらとアリエリーの研究は、パーソナリティ上の特徴に加え、情報環境の歪みが分断や陰謀論をもたらすという、ロジックを共有する。(第四回の総括で触れた)J.S ミルの言論の自由市場の想定通りであれば、優れた言論が勝ち残るはずである。しかしながら、市場に歪みがある場合、分断や陰謀論は淘汰されず、拡大する恐れさえある。この懸念に基づいて、言論になんらかの検閲(規制)を加えることを提案する者がいても不思議ではない。しかしながら、アメリカでは、憲法修正第1条(表現の自由)に沿って何ができるのかを考察する議論が主流であり、リチャード・ハセン(Richard Hasen、UCLA)がそのような論者の代表である(Hasen, 2022)。ハセンが検閲を拒否する理由は、今後、危険な勢力が権力を握る可能性があり、検閲に厳しい制約(明白かつ現在の危険, clear and present danger)を課しつづけるメリットが大きいからである。彼は、ファクトチェックなど民間の取り組みの意義を強調する。誤った言辞の被害者による名誉毀損の活用もひとつの手段であるとし*9、消費者保護の発想から広告費用の出し手を開示させることも一案とする。ハセンは、これらの取り組みによっても、極端な主張に取りつかれる人々を減らすことはできないと見積もりつつも、センターに近い人々を保護することができればよいと割り切る。メタのファクトチェックの廃止(2025年1月)など民間での取り組みには後退がみられるが、トランプが政権に復帰したいまとなっては、検閲を拒否したことには先見の明があった。経済的誘因を活用し、言論の自由市場の機能の発揮を促すのが、法学者のマイク・ギルバート(Michael Gilbert、ヴァージニア大学)らの戦略である。ギルバートらは、自身の発信の信頼性を保証する報償金(truth bounties)を拠出する制度を提案する(Arbel and Gilbert, 2024)。報奨金を出すことで、発信者は自身の発信が真であるとの印をつけることができる。報奨金の額を引き上げることで、発信者は自身の発信の真実性に自信を持っていることをシグナルできる。この制度の下では、人々はある発信に報奨金が掛けられているかどうか、その発信に異議が申し立てられたかどうか、その異議申し立ての成否を知ることができる。異議に敗れた時には、印を返上し、報奨金を失う。ギルバートらは、バイデンが選挙を盗んだという真っ赤な嘘の事例に止まらず、気候変動否定論のようなハードケースでも報奨金制度は機能するという。たしかに気候変動を否定する学者が少数ながら存在する。ただ、その主張に多くの反論があることに触れなければ、バランスを欠いてミスリーディングであるとして、報奨金を没収してよいと考える。鏡を磨く提案は、比例代表、名誉毀損、報奨金などの大掛かりなものばかりではない。デイビッド・レイザー(David Lazer、ノースイースタン大学)は、主要メディアの不注意な見出しが、偽情報に付け入る隙を与えていると指摘する(Goel et al., 2023)。例えば、ワシントンポスト紙の"Vaccinated people now make up a majority of COVID deaths(ワクチン接種者がCOVIDによる死亡者の過半数を占めるようになった)"との見出しを付けた記事が、ワクチンは効かないという言説の流布に大きな役割を果たしたという。レイザーらは、特に悪用されやすい事例を集めてメディアに注意喚起している。このほか、(第五回でみた)チェンらの提案する、馴染みではないメディアに触れる機会を社会的に促すことも、鏡を磨く提案の一種である。アメリカにみる社会科学の実践(第六回、最終回)ファイナンス 2025 Mar. 33*9) 名誉毀損は、1)誤った情報を流されことだけでなく、2)実際に被害を受けていること証明する必要があり、使いやすい法理ではない。ただ、投票システムを販売するドミニオン社は、2020年の選挙で投票システムの操作による不正があったとのFoxニュースの報道が、同社の名誉を棄損したとの訴えを起こした(Dominion v. Fox)。最終的に、Foxニュースがドミニオン社に7億8750万ドルを支払うことに同意し、Foxニュースがドミニオン社に関する虚偽を放送したことを認めた(2023年4月)。

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