ファイナンス 2025年2月号 No.711
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円*2となっていた。また、宿泊料については、明治SPOT主計局給与共済課 前課長補佐 秋山 稔/前課長補佐 末松 智之/課長補佐 小谷 陽/前給与第5係長 久保 輝幸/給与第5係長 畝川 翔太/給与第5係 谷 源太郎/給与第4係長 曽部 優貴/前給与第4係 絹川 真由/給与第4係 赤阪 怜美/前給与第2係長 下田 滉太/前給与第1係 西山 隼矢「宿泊費(現行:宿泊料)・宿泊手当(現行:日当)の水準をどのように設定すべきか。」今般、国内外の経済社会情勢の変化に対応するとともに職員の事務負担軽減を図るため、国の旅費制度を抜本的に見直すこととなったが、その見直しに当たり、この論点が最も難しかったと言っても過言ではない。足元では、最近のインバウンドの増加や為替・物価の変動等に伴い宿泊料の定額が実際の相場と乖離している部分がある中で、上限となる宿泊費の基準が実際の相場と比べて低すぎては見直しの意味をなさなくなる一方で、国費の適正な支出を図る観点から当然ながら不必要に高い金額とすることは適当ではない。また、日当から構成要素を大きく変更した宿泊手当についても、実費相当として妥当な金額を設定することが求められた。制度を所管する立場として、実際に支出する金額に直結する基準を設定するに当たって「適切な」水準を追求することに頭を悩ませることとなる。見直しの背景や「国家公務員等の旅費に関する法律」(昭和25年法律第114号。以下「旅費法」という。)の改正の概要については『ファイナンス』令和法律施行令」(令和6年政令第306号。以下「旅費法施行令」という。)の概要についてはその続編となるているが、更なる続編となる本稿では、三部作の最終編として、「国家公務員等の旅費支給規程の一部を改正する省令」(令和6年財務省令第70号。以下「改正旅費法省令」という。)の内容を紹介する。本格的な内容に入る前に、まず旅費法における宿泊料・日当の歴史や現行法下での課題に少し触れておく。旅費法の制定は昭和25年であるが、その源流は明治時代まで遡ることができる。内国旅行の旅費を初めて定めた明治19年閣令第14号は、旅費種目として、汽車賃、汽船賃、車馬賃及び日当を規定し、外国旅行の旅費を初めて定めた明治20年閣令第12号は、旅費種目として、船舶料、汽車料、客舎料、食卓料、日当及び支度料を規定した。このとおり、日当は明治時代の制定当初から旅費種目として規定されており、その定額は、内国で50銭から4円*1、外国で60銭から419年閣令第14号では明確に規定されておらず、「公務ノ都合ニ依リ宿泊ヲ要スルトキハ宿泊ノ數ニ應シテ日當ヲ支給スヘシ*3」として、宿泊に要する費用は日当で支弁することとしていた(宿泊料としては、明治30年の改正により旅費種目に追加)。一方、明治20年閣令第12号においては、外国旅行における宿泊に要する費用を支給する旅費として客舎料が規定され、その定額は1円50銭から8円*4であった。当時と現代との物価の違いもあり、どの程度の支給水準であったかなど正確なところは判然としないものの、金額の違いを見るだけでも、旅費法の持つ長い歴史を感じることができるであろう。その後、幾多の改正を経て、現行の旅費法において、日当は内国で1,700円から3,800円、外国で3,200円から13,100円、宿泊料は内国で7,800円から19,100円、外国で9,700円から40,200円となっており、金額だけを見ると相当の増額がなされてきた。しかしながら、前述のとおり、最近ではインバウン6年7月号において、「国家公務員等の旅費に関する『ファイナンス』令和6年10月号において既に紹介し*1) 地域・職階ごとに区分し、最低額が50銭、最高額が4円となっていた。*2) 地域・職階ごとに区分し、最低額が60銭、最高額が4円となっていた。*3) 明治19年閣令第14号第7条ただし書で規定していた。*4) 地域・職階ごとに区分し、最低額が1円50銭、最高額が8円となっていた。 46 ファイナンス 2025 Feb.1.はじめに国家公務員等の旅費制度の見直しに ついて(省令編)

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