SPOT アメリカにみる社会科学の実践(第五回)気候変動のような論争的課題において、州の自律性は多様な政策が国内で併存する状況を許す。第一次トランプ政権のもとでも、カリフォルニア州はカナダ(ケベック州)との間で排出権取引による対策を推進した。連邦レベルの中絶の権利を撤回する連邦最高裁判決(2022)が出て以降、中絶の認否は州に委ねられている。中絶の権利を重視する州では、その権利を州憲法などに位置付ける動きが進んでおり、この進展が連邦レベルの争点としての中絶の熱量を抑えるよう作用したことは先述した。民間の自律性、特に財産権の重要性を訴えてきたのが、リバタリアンと呼ばれる論者である。ロバート・ノージック(Robert Nozick)は、財産権から発する最低限の権力しか有しない最小国家を描き(Nozick, 1974)、リバタリアンの哲学を拓いた。ワシントンではケイトー研究所がリバタリアンの根城となり、ながらくデイヴィッド・ボウツ(David Boaz)が論陣を張ってきた。ボウツは、福祉国家が人々の国家への依存を生み、かえって貧困を長期的な問題にしていると指摘する(Boaz, 1998, 2015)*4。ボウツは、リバタリアンは謙虚さを大切にするという。例えば、カリフォルニア州政府が教育を差配すると、カリフォルニア中の子供が間違った教育を受ける恐れがあるが、学校ごとに教育を決めることにすれば、大きな害が州全体で起こる事態を避けることができると説く。この見解はベドナーの「強靱な連邦」論と響き合うところがある。利害を異にする多様なアクターの相互作用から、統治の成り立ちを考えてきたのが、公共選択の経済学者たちである。ジェームズ・ブキャナン(James Buchanan)とゴードン・タロック(Gordon Tullock)は、The Calculus of Consent:Logical Foundations of Constitutional Democracy(同意の論理 立憲民主主義の論理的基礎,1962)で、バラバラの個人が全会一致のもとで、憲法を立ち上げる様子を数学的に記述した。ブキャナンとタロックの晩年の拠点となった、ジョージメイソン大学は、タイラー・コーエン(Tyler Cowen)、ブライアン・キャプラン(Bryan Caplan)、アレックス・タバロック(Alexander Tabarrok)ら、リバタリアン、公共選択学派と分類される経済学者たちの拠点となっている。衆国銀行を設立しようというハミルトン財務長官(ワシントン政権)の提案に反対の立場を取った。マディソンはフィラデルフィアの制憲会議で、連邦が会社を設立できる旨を書き込もうとしており、合衆国銀行の設立は彼自身望んでいたはずのことである。その規定は最終的に憲法に盛り込まれなかった。この経緯に鑑みて、連邦は会社を設立できないと主張するのは、一貫性があるようにもみえるが、サブスタンスにおいては大きな転向であった。デイヴィッド・モス(David Moss、ハーバード大学, Moss, 2017)の解釈は、マディソンは制憲後、出身のヴァージニアに戻り、自身が不人気であることに驚いたというものである。マディソンは上院議員に選ばれる(当時は州議会が上院議員を選任)ものと思っていたが、選ばれなかった。下院選挙では□差での勝利を得たに過ぎない。独立当時は、南部(とりわけヴァージニア)がアメリカの主導権を握るとの暗黙の了解があったが、ヴァージニアの人たちは北部の金融の力を恐れていた。(ニューヨークを地盤とする)ハミルトンが(ヴァージニアの)ワシントンの信頼を勝ち得ているのを不安視していた。当時の南部と北部(ハミルトン)の間の論点は二つあった。ひとつは独立戦争で各州が負った債務の処理である。ハミルトンは連邦による債務の償還を主張した。この案は、ヴァージニアにとって高くつく案であった。ヴァージニアはすでに債務の多くの償還を独力で終えていた。マディソンのハミルトン案への反対は、国益よりも地元の利益に合致するものであった。第二の論点、合衆国銀行の設立はマディソン自身がかつて望んだものであった。ワシントンの裁定によって最終的に設置されたものの、自身のマディソン政権(第4代)中に銀行の設置免許が切れるのを良しとした(1811)。ところが、米英戦争(1812-1815)が勃発すると、銀行の必要性を認めざるをえなくなり、自ら第二合衆国銀行の設置*4) ボウツは筆者の在米中の2024年6月7日逝去した。生前の厚誼に感謝し、冥福をお祈りする。ファイナンス 2025 Feb. 33コラム3.2:ジェームズ・マディソンの実像本稿でいうマディソンとは、合衆国憲法の制定を主導し、ハミルトンらとともにThe Federalist Papers(1788)を執筆した、マディソンを指す。歴史上のマディソンは複雑で理解の難しい人物である。憲法批准後のマディソンは、ジェファーソンとともに民主共和党を率い、ハミルトンの連邦党と激しく争う。マディソンは、合
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