ファイナンス 2025年1月号 No.710
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ファイナンス 2025 Jan. 78海外ウォッチャーFOREIGN WATCHER連載海外 ウォッチャー 月8日でしたので、コロナ禍で混乱した社会経済をいかにして平時へと回帰させていくかが同政権の課題となりました。連邦政府はコロナ禍への対応のため2020年以降累次にわたる財政措置を実施しました。このうち2021年第二次補正予算(2022年2月公布)で積み上げられたコロナ対策費600億ユーロは、結局コロナ対応に使われないまま気候変動対策の基金に移されたところ、2023年11月15日に連邦憲法裁判所から同補正予算が違憲であるという判決を下されました。この違憲判決によって信号連立政権の財政運営は厳しい状況に置かれ、同時に後述する財政規律を巡る議論が世間に惹起されることとなります。この違憲判決事案は、本稿で扱うには重過ぎるため割愛するものの、信号連立の政権運営に暗い影を落とすことになりました。信号連立政権発足間もない2022年2月24日、ロシア軍がウクライナへの侵攻を開始しました。その3日後にショルツ首相が連邦議会演説で示した姿勢は明確でした。「2022年2月24日は、我々の大陸の歴史の転機(Zeitenwende)*4である。」「我々は、絶望的な状況にあるウクライナを支えなければならない。」。そして自由と民主主義を守り、同志国と結束してプーチンの戦争を思い止まらせ、NATOの一員としての義務を堅守し、外交交渉を通じて平和的解決を試みることを訴えました。この決意は同時に国防予算の純増を意味しました。従前、ドイツの国防支出対GDP比はおおむね1%台前半で推移しており、NATO加盟国の目標である国防支出対GDP比2%には及びませんでした。しかしながらNATOの一員として、また中東欧地域における主導的国家として、その責務を果たすために財政制約(後述)を克服し、1,000億ユーロの「連邦軍特別資金(Sondervermögen Bundeswehr)」を設置することを同声明にて表明しました。2022年の通常予算(日本でいう一般会計予算)総額が4,958億ユーロで、そのうち国防省予算が504億ユーロでしたから、この特別資金のインパクトは相当に大きなものでした。同資金の性質は、1,000億ユーロを上限として、複数年にわたりドイツ連邦軍の軍事能力とNATO戦力目標へのドイツの貢献を確保する目的で、連邦政府に対し起債による財源調達の権限を付与するものです。ドイツ基本法(=憲法)第115条には一般政府による各年予算の新規債務上限を定めた通称「債務ブレーキ(Schuldenbremse/Debt Brake)」という厳格なルールがあります。本来であればその上限を超えて起債権限が政府に付与されることはあってはならないのですが、当時の連邦政府は迅速な軍資金確保のために基本法を改正することで時世の要請に対処しました。すなわちこの声明の約4か月後、2022年7月1日には連邦軍特別資金の設置とそのための国債発行が債務ブレーキ規定の対象外となることを定めた基本法第87a条が新設・施行されました。かなりのスピードでの改正でした。同特別資金は2023年に84億ユーロが、2024年には198億ユーロが計上され、同年の国防省予算約520億ユーロと合わせることで、ドイツはついに国防支出対GDP比が2%目標を達成する2.1%となりました。しかし債務償還財源の確保に関する議論は深まっておりません。2023年のドイツのGDPが日本を抜いて世界第3位になったことは記憶に新しいと思います。それではドイツ経済は、コロナ禍を克服し勢いに乗っているのかというと、そうではありません。ドイツの政府当局、中央銀行、主要経済研究所のエコノミストは現在のドイツ経済が“stagnation(景気停滞)”の状態にあると述べます。コロナ禍後の実質GDP成長率を見るとゼロ近傍で横ばいが続いています(図4)。2025年以降の経済見通しも芳しくはありません。景気停滞の姿を少し噛み砕いてみましょう。先に見た通り、昨今のドイツではコロナ禍が明けて実質賃金がポジティブに推移しているにもかかわらず、消費者信頼感指数は他のユーロ圏諸国と同様にネガティブです(図1・図2)。そしてドイツのGDP構成の50%余りを家計消費が占めています(図5)。この図では2023年の実績のみを紹介しておりますが、過去10年ほど遡っても家計消費は常に50%強を保っています。したがって政府が大幅な財政出動をしたり、貿易黒字が急拡大したりしない限り、ドイツ経済の勢いは人々の購買意欲の高低によって左右されると言えるでしょう。(3)浮揚しない景況感*4) 「Zeitenwende(ツァイテンヴェンデ)」はショルツ首相の造語であり、この単語が単独で用いられるときの日本語定訳は「時代の転換」。また独連邦政府は同声明文における同単語を「watershed」と英訳している。

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