ファイナンス 2025年1月号 No.710
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津□年師しけ在家町館町路線価でひもとく街の歴史連載路線価でひもとく街の歴史 □□□□□年戦時中宇治山田駅開業(路面電車)宇治駅開業いまざいちょうたちちょうおん千円□㎡(出所)国税庁「路線価図」から筆者撮影四日市伊勢桑名松阪□□□□□□□□ファイナンス 2025 Jan. 74□□□□□□□□□□□□□□□□□□□図5 最高路線価の推移□□□もとにジャスコ新伊勢SCがオープン。要するに駅前から郊外に移転した形だ。平成13年(2001)5月には三交百貨店も閉店し駅前から大型店がなくなった。広域図(図3)の通り、伊勢志摩エリアの2大基幹病院が郊外大型店の至近にあり、バイパスと高速道路に関係する立地に商業・医療の郊外拠点が形成されている。平成16年(2004)には最高路線価地点が旧伊勢街道の終点で内宮前の「伊勢市宇治今通線通り」となった。式年遷宮ではないが、街の中心地は20~30年で遷り変わり、現在は南勢バイパスの終点で高速道路ICに程近い郊外である。古来の伊勢の中心に最高地価が回帰したとも言える。車社会化が人を集めるのに奏功したことは参拝者の推移(図4)からもうかがえる。この20年、インバウンドのブームに乗じた観光地としての価値の高まりとともに年々地価が上昇している(図5)。県内の他都市と比べると、平成17年(2005)にはライバルの松阪市、平成23年(2011)には名古屋大都市圏の桑名市、平成26年(2014)には県庁所在地の津市を追い越した。いまや四日市市に次ぐ水準だ。場所は同じだが、令和4年から地点名が「内宮おはらい町線通り」となった。全国に赴き巡礼ツアーを勧誘し、来訪者を泊め、もてなした「御まっていたことが「おはらい町」の由来だ。祈祷もサービスの1つだった。図6のように、江戸~明治期の鳥居前町の街なみが印象的な通りだ。切妻屋根の“ハ”側が道に面する「切妻・妻入り」が伊勢の伝統町家の特徴である。独自のデザインコード「内宮おはらい町まちなみ保全整備基準」に沿って再現されたものだ。おはらい町の再生を主導したのは、通りの中央に本店を構える伊勢土産の定番、赤福だった。通りを挟んで本店の向かい側に、おはらい町の景観と一体化した「おかげ横丁」がある。赤福が周辺の敷地を買い集めて平成5年(1993)に開業した町家風オープンモールだ。名称は江戸時代の「おかげ参り」にちなむ。30年が経過した現在、おはらい町の通りにもおかげ横丁の店舗が散在している。」の屋敷が集伊勢志摩スカイライン□□□遷宮路面電車廃止□□□遷宮外宮参拝者□□□□□□□□万人、万台(出所)伊勢市観光統計書から筆者撮影。伊勢自動車道交通量は伊勢西IC出入口の平均(出所)令和6年9月13日に筆者撮影□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□内宮参拝者□□□遷宮□□□遷宮伊勢自動車道交通量□□□□□□□□□□□□仙台市出身、1993年七十七銀行入行。東北財務局上席専門調査員(2004-06年)出向等を経て2008年から大和総研。主著に「公民連携パークマネジメント:人を集め都市の価値を高める仕組み」(学芸出版社)図4 伊勢神宮参拝者の推移図6 おはらい町プロフィール大和総研主任研究員 鈴木 文彦郊外立地の旧街道・おはらい町の勢い

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