ファイナンス 2025年1月号 No.710
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連載路線価でひもとく街の歴史五十鈴川勢田川宮川古市6年(1931)の最高地価は外宮参道の他、新道通、(1969)で「一之木町紅谷菓子店前11月には三重交通が駅前に5階建は伊勢電に3か月早い昭和5年9月である。(当時)国鉄山田駅の北側に開駅し、こちらも山田駅と名乗った。翌年3月、高架橋を架けて600m先の宇治山田駅まで延伸する。スパニッシュ様式のモダンな駅舎は国の登録有形文化財になった。この時点で国鉄参宮線の山田駅、伊勢電の大神宮前駅、参急の宇治山田駅の3本の路線と3つの駅があった。時世も背中を押す形で神宮への参拝者が急増。経路となった駅前の価値は以前に増して上昇した。昭和高柳通に分布していた。重心が西に拡大した形だ。伊勢電は度重なる設備投資で体力が低下していた。名古屋・桑名間が途絶していたのもネックだった。大軌は名古屋駅までの延伸をもくろみ、昭和11年(1936)、伊勢電を参急に合併させる。昭和13年(1938)6月、子会社に整備させた桑名・名古屋駅間の路線が完成。旧伊勢電の江戸橋駅(津の北郊)と参急の津駅の間の連絡線も完成し、大阪から名古屋まで繋がった。大神宮前駅は昭和17年(1942)に廃止されたが、江戸橋駅から新松阪駅までの旧伊勢電の路線は戦後も残り、昭和36年(1961)まで2線が並走していた。戦災で駅前が荒廃し戦後の中心地は新道通となる。路線価地点名の初出は昭和44年通り」となった。紅谷は同じ場所で今も営業している。昭和53年(1978)、最高路線価地点が駅前の「本町ジャスコ百貨店前通り」に移った。ジャスコが開店したのは昭和36年(1961)7月で、当時は前身の伊勢オカダヤだった。昭和41年(1966)4月に5階建の店舗を新築する。昭和44年(1969)の三交ショッピングセンター(SC)を開店した。昭和48年(1973)10月、外宮参道の向かい側に完成した伊勢駅前ビルにジャスコが入り新館(B館)を開店する。その後三交SCは業態転換して三交百貨店となり、昭和54年(1979)には背後に店舗を増築して「ジョイシティ」とした。昭和40年代以降の大型店の拡大競争の結果、新道通から西に延びる商店街の売場面積を駅前が凌駕するに至った。新道道と駅前の攻防の一方、車社会化も少しずつ進んでいた。路面電車は三重交通に引き継がれ神都線として運行されていたが昭和36年(1961)に廃止。伊勢電の廃線跡が転じてわが国初の有料道路となった参宮有料道路や伊勢志摩スカイラインが整備され、観光バス、次いでマイカーで巡礼する時代となる。昭和50年(1975)10月、国道23号南勢バイパスが開通した。バイパス沿いに初めてできた郊外大型店は昭和56年(1981)1月に開店した伊勢SC「ララパーク」だ。核店舗はジャスコだが、地元テナントが売場面積の約半分を占める地元主導型だった。平成5年(1993)3月、後に東名阪自動車道に連絡する伊勢自動車道が伊勢ICに到達し全線開通する。翌年6月には南勢バイパスが全線4車線となった。郊外勢に押される形で平成7年(1995)10月、ジャスコ伊勢店のA館が閉店。翌年9月にB館も閉店したが、そのさらに翌年の平成9年(1997)4月、伊勢西ICのふ(出所)地理院地図vectorに筆者が加筆して作成図3 広域図新道通から再び駅前へ巡礼道に始まる車時代と駅前の空洞化イオンタウン伊勢ララパーク(旧・伊勢□□ララパーク)ミタス伊勢(バロー)豊受大神宮(外宮)伊勢西□□伊勢□□(旧・ジャスコ新伊勢SC)おはらい町皇大神宮(内宮)伊勢赤十字病院市立伊勢総合病院↑神社港 73 ファイナンス 2025 Jan.

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