ファイナンス 2025年1月号 No.710
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玉路線価でひもとく街の歴史連載路線価でひもとく街の歴史 宮後町曽祢町本町筋向橋河崎町おきたまファイナンス 2025 Jan. 72神社や夫婦岩鉄道開通で人の流れに変化が起きる。明治30年(1897)11月、参宮鉄道の山田駅が開業した。現在の伊勢市駅である。参宮鉄道は、四日市に本店を構える関西鉄道との連携を前提に津と伊勢神宮を結ぶ目的で設立された。関西鉄道は、中山道に迂回した官設鉄道の東海道本線に代わり、旧東海道に沿って名古屋から滋賀県草津に至る路線を整備した私鉄である。亀山駅から分岐し津に至る支線を持っていた。参宮鉄道、関西鉄道ともに明治40年(1907)に国有化された。山田駅が開業して6年後の明治36年(1903)8月、本町(外宮前)と二見を結ぶ全国7番目の路面電車が開通した。電力会社「宮川電気」が立ち上げた「伊勢電気鉄道」である(後述の伊勢電気鉄道とは別)。延伸を重ね、明治39年(1906)には山田駅から内宮最寄りの宇治に至る路線になった。山田駅で乗り換えて鉄路で外宮、内宮そして二見の二見興を周遊できるようになっていた。こうして、明治43年(1910)、山田駅から外宮に至る路面電車の道、現在の外宮参道が1等地となった。伊勢街道から山田駅を起点とする電車通りに中枢が移った。大正7年(1918)、百五銀行が伊勢街道沿い図2 市街図(出所)筆者作成鉄道の開通伊勢を目指した3本の並走線勧業→みずほ山田↓四日市跡百五百五跡廃線跡街道筋大神宮前駅跡豊受大神宮(外宮)から路面電車の通りに移転した。その翌年の2月、三重県農工銀行が同じ通りに出店した。日本勧業銀行に吸収され、現在のみずほ銀行伊勢支店に至る。なお、明治43年当時の1等地は新道通にもあった。文政10年(1827)に開かれた道で、筋向橋から河崎町への近道になり、歓楽街としても賑わっていた。伊勢街道に沿って宇治の手前に古市という街があり、こちらも参拝の帰りに立ち寄る歓楽街だったが、鉄道の時代になるにつれ新道通の賑わいも増していった。昭和に入るとさらに2本の鉄道が伊勢に乗り入れる。四日市に本社を構える伊勢電気鉄道(伊勢電)と、大阪から伊勢を目指して路線を延ばす参宮急行電鉄(参急)である。まず、伊勢電は大正4年(1915)9月に一身田町・白子間で開業。以降延伸を続け、昭和5年(1930)12月に外宮前に大神宮前駅を開業する。北は桑名から南の大神宮前駅まで伊勢平野を縦断する路線となっていた。2つ目の参急だが、こちらは現在の近畿日本鉄道(近鉄)の前身、大阪電気軌道(大軌)傘下の鉄道だった。昭和4年(1929)、伊賀上野・名張間で開業したのをはじめとして、伊勢に到達したの三交百貨店跡近鉄山田線□□参宮線ジャスコ跡岡本町八日市場町月夜見宮

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