ファイナンス 2025年1月号 No.710
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図1 河崎の街なみげ宮大宮受大みけつ饌都神向4444向社港連載路線価でひもとく街の歴史第59回 三重県伊勢市第59回 三重県伊勢市だいないくうとようけのかみすじかいこうたいくうあまてらすおおみかみかみやしろこうとようけわたらいすじかい神宮とつく神社は多々あるが、単に「神宮」といえば伊勢神宮である。内神宮があり、内裏と離宮の関係と同様、皇大神宮が中心かつ格上で、外宮から内宮の順で参拝するのが作法である。皇大神宮の御祭神は皇祖神、天ある。わが国の総氏神であり、御神札の「神宮大麻」は地元の氏神とともに家々の神棚に祀られる。豊受大神宮の御祭神は豊受大御神といい、天照大御神の食事を司る御である。両宮の社殿は20年毎に新調され隣の敷地に遷座する。持統天皇4年(690)から続く式年遷宮は平成25年(2013)が62回目で、次は令和15年(2033)の予定である。一生に一度は訪れるべき聖地巡礼、お伊勢参りが流行したのは江戸時代だ。古来、伊勢に至るルートは大きく3つある。1つは関西から東に向かう伊勢本街道、もう1つが名古屋から南下する伊勢街道だ。これらは市街地の入り口の筋の水路である。伊勢湾に面する神上して川湊の河崎に着く。川に面して蔵や町家が並こと豊び、河崎は巡礼地の経済を担う問屋街となっていた。往時の街なみが今も残っている。川と並行する道に沿って町家が修復され、カフェや雑貨店となっている(図1)。中を見学できる博物館的スポットが「伊勢河崎商人館」だ。江戸期に創業した酒問屋「小川酒店」を伊勢市が購入、修復した。明治18年(1885)の三重県統計書によれば、伊勢志摩エリア(旧度だった。「山田」は外宮の鳥居前町で現在の中心市街地と重なる。筋貫き、約6km先の内宮で終点となる。内宮の鳥居前町が「宇治」だ。宇治と山田は長らくライバル関係だったが、明治22年(1889)に合併し「宇治山田町」となった。「三井住友経て昭和30年(1955)に現在の「伊勢市」となった。伊勢商工会議所「昭和49年度商業近代化地域計画報告書」によれば、宇治山田町が毎年1~5等地に格付けしており、明治20年(1887)の1等地は伊勢街道に沿って筋向橋から八日市場町にかけて分布していた。当時の中枢機能は伊勢街道沿いに集積しており、明治8年(1875)、伊勢に初めて登場した銀行の三井銀行は街道沿いの岡本町にあった。県下一番行で津に本店を置く百五銀行は明治15年(1882)3月、岡本町に支店を開く。当時は第百五国立銀行といった。地元に本店を構えた最初の銀行は山田銀行である。明治27年(1894)5月の創業で本店は宮後町にあった。大正7年(1918)に閉店し、翌年、四日市銀行に買収された。四日市銀行は現在の三重銀行である。会郡)の最高地価は「山田河崎町」橋で合流した伊勢街道は山田の街を銀行」式の命名だ。市制施行をこと皇神宮と外照大御神で橋で合流した。3つ目が勢田川から川舟が遡かわ河さき崎町の舟運伊勢街道遷座を重ね神都伊勢の中心は内宮前に遷座を重ね神都伊勢の中心は内宮前に2,210C2,160C2,240C2,100C1,720C1,550C1,500C1,130C1,150C340D400D970C870C290D270D275D2,350C2,390C610C550C540C600C1,430C420D900C390D400D390D410D870C390D850C2,900C2,550C2,600C2,430C660C630C2,310C650C1,900C1,500C420D410D400D400D420D410D440D540C470D470D1,570C560C510C320D1,560C570C1,380C810C1,410C360D490D360D255E560C610C1,650C1,620C620C1,730C1,520C1,510C400D1,200C370D400D1,090C320D320D1,080C870C730C500D275D510C240E295E(出所)令和6年9月28日に筆者撮影 71 ファイナンス 2025 Jan.路線価でひもとく街のの歴史歴史路線価でひもとく街

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