SPOT ファイナンス 2025 Jan. 40移行と呼び、現在の「半無政府状態」では適切な対応ができないとする。すべての技術は善であるとの想定を疑い、世界規模の監視システムの導入を提言する。ボストロムの「監視システム」という提言は、言葉尻をとれば、反発を呼びかねない。ただ、核兵器、気候変動などのプラネタリーバウンダリーの侵害から、最近のAIの兵器転用の脅威まで、すべてに通底する問題が半無政府状態、ガバナンスの欠如にあることに異論はないのではないか。核兵器については米ソ冷戦時代にも、複雑な抑止システムを作り上げるとともに、核の利用と規制を両立するための査察(監視)の制度を導入した。ただ、今日、ロシアによる核使用の脅し、核保有国の増加などの綻びがみられる。気候変動については、科学的知見の集約(IPCC)は進んでいるが、1990年以降、世界の二酸化炭素排出量は60パーセント以上増加している。図2.16は、国際エネルギー機関(IEA)の集計した、1)現在までに実施が表明された施策に基づく温暖化ガスの排出の予測、2)2050年にネットゼロを実現するために必要なガスの削減パスを並記したものである(IEA, 2024)。二つの線の差分は、1)国境を越えた地理的な公共財の過小供給であると同時に、2)近視眼的決定による異時点間ガバナンスの失敗との合成物である。先進国と途上国の利害対立は解決困難な問題と化している。その結果、図2.16の二つの線分の差が広がっていくが、この差の拡大は、各国が共謀して未来の人々を犠牲にしているのと結果的には同じである。(第一回のコラム1.3でみた)サステナブルファイナンスを通じ化石燃料への資金提供を絞り、その開発を切り詰める方法も追求されてきた。ただ、フィージブルなエネルギー転換を伴わずに化石燃料の開発を絞ると、エネルギー危機を招きかねない*24。世界銀行などの国際開発銀行に期待する声もある。しかしながら、(第一回で格差問題で取り上げた)コーネル大学のカンバーのいう通り、融資機関に過ぎない開発銀行は気候変動への適応(防潮堤の建設など)には対処しえても、気候変動の緩和(炭酸ガス排出の削減)という純粋公共財の供給には困難を抱える(Kanbur, 2023)(脱炭素のうち、食の脱炭素については、コラム6.人類の存続(1)リスクと二つのガバナンス欠如最後に大国間の競争のかげで進む、人類規模の問題を検討する必要がある。なぜならば、50年、100年後の人々は、この問題への対処に失敗したことを、我々の時代の最大の痛恨事と考える恐れがあるからである。大国間の競争は人類規模の災厄に共同して対処する意欲を後退させ、グローバルなガバナンスの機能不全を招く恐れがある。ガバナンスは大国間の地理的競争の間で失われるだけではない。今日の問題が厄介なのは、技術進歩により、現在の利益と将来のリスクとの間の異時点間のトレードオフが険しさを増していることにある。地理間と異時点間でのガバナンスの欠如はリスクを相乗的に悪化させる。地球環境に潜むリスクについては、ヨハン・ロックストローム(Johan Rockström、Potsdam Institute for Climate Impact Research)ら欧米の研究者が、プラネタリーバウンダリーの概念を提唱している(Rockström et al., 2009)*23。プラネタリーバウンダリーとは、人間活動の圧力にさらされる九つの環境領域において、自然の回復力の限界を示したものである。2023年改定版によると、九つの領域のうち、気候変動、自然環境への新規物質の流入、窒素・リン循環、淡水、土地システム、生物・遺伝的多様性の六つの領域ですでに地球環境は回復不可能な域にまで悪化しており、大規模で不可逆的な環境変化が発生するリスクが高まっている。ニック・ボストロム(Nick Bostrom、オックスフォード大学)は、人類の存亡リスクを「地球起源の知的生命体の早すぎる絶滅か、その知的生命体が持つ望ましい未来への潜在力の永続的かつ劇的な破壊が生ずるリスク」と定義する(Bostrom, 2013)。ボストロムは、熱核戦争や気候変動に限らず、ナノテクノロジー、AI、バイオテクノロジーなどの新しい技術に由来するリスクに目を向ける。斬新な軍事技術が軍拡競争を引き起こし、先手を打った方が決定的な優位に立つ事態となることを憂慮し、合成生物学によって簡単に手に入る材料で何百万人もの人々を殺すことができるようになることを懸念する。彼はこのような事態を「ポスト・ヒューマン」社会へのアメリカにみる社会科学の実践(第四回)*23) この節においては、アメリカだけではなく、欧州の社会科学者等の貢献も大きい。*24) 気候変動問題を一番に考える論者のなかには、エネルギー危機が起こってもよいと考えている者もいると思われるが、エネルギー危機を招けば、却って気候変動対策への市民の支持に打撃を与えるのではなかろうか。
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