ファイナンス 2025年1月号 No.710
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SPOTしていることに注意を向ける。人民元ベースのネットワークが米ドル建てのグローバル金融システムに取って代わることはないとしつつも*22、中国独自のネットワークは制裁下で、融資や貿易取引へのアクセスを維持するという狭い目標には役に立つとする。ヴェストらによると、CIPSは直接な参加者間の通信シャネルを有し、銀行間送金を処理することができる。ホールセールのデジタル通貨であるmBridgeは、2021年2月、人民銀行とタイ、UAE、香港の三つの中央銀行の取り組みから開始し、現在では豪韓を含む32の中央銀行をオブザーバーとして含むまでに拡大している。mBridgeを大規模に実装すれば、ドルベースのネットワークの代替として機能しうるという。中国は通商関係や一帯一路をテコに世界各国と金融面でも結びつきを強めており、次第に成果を生み出している(中国と各国の金融面の関係については、コラム2.5を参照)。対中制裁については、エミリー・キルクリーズ(Emily 告を「No Winners in This Game」と題した(Kilcrease, の経済的措置を検証し、中国に厳しい制裁を科す選択肢は限られていると結論している。まず、1)中国への技術供与を拒否する取組は、効果を発揮するには時間がかかり、紛争が発生する直前期にはあまり役に立たない。2)輸出管理も、ロシア制裁の例をみても制裁回避の例が多い。3)金融制裁については、中国が貿易や金融でドルに依存しており、アメリカは優位性を持っているが、中国の銀行の規模に鑑みて制裁がもたらす経済、市場の混乱は甚大であると指摘する。キルクリーズは、制裁のタイミングにも問題があるとする。すなわち、制裁が抑止的な役割を果たすためには、紛争が起こるかなり前に、厳しい制裁を科すという強い決意を示すことで制裁の信頼性を高める必要があると指摘しつつも、制裁を発動するという政治的決意は、危機の瞬間にしか生まれないという。ヴェストら、キルクリーズによる研究を通じて浮かび上がってくるのは、制裁による抑止を考えることの難しさである。辛うじて、ヴェストらは非対称性のあるミドルクラスの制裁を用いる可能性を残しているが、キルクリーズは問題点を指摘するところから踏み込まない(No Winners)。このような論調のなかで、ジェラルド・ディピッポ(Gerald DiPippo、CSIS→ブルームバーグ)は、ジュード・ブランシェット(Jude Blanchette、CSIS)との共著で、戦争が起これば、制裁以上の影響が事実上生じるとして、制裁の抑止効果にシニカルな見方を示している(DiPippo & Blanchette, 2023)。彼らは、二つの抑止力、すなわち、1)普段から効果を持つ一般的な抑止力、2)危機が迫った時に効果を持つ即時的(immediate)な抑止力を区別し、経済制裁は一般的な抑止力にしかならないとする。ディピッポはCIAで中国経済の分析をし、CSISに移籍した際、対中制裁を研究するとしていた人物である。その後、ディピッポはブルームバーグに移籍し、台湾海峡で戦争が起きた場合の経済的影響を試算している(Welch et al., 2024)。試算によると、最初の1年間にGDPに与える影響は、台湾は▲40%、中国▲16.7%、日本▲11.5%、アメリカ▲6.7%である。世界全体では、▲10.2%で10兆ドルのコストがかかるという。台湾封鎖の場合には、台湾▲12.2%、中国▲8.9%、アメリカ▲3.3%、世界▲5.0%となる。この規模の経済コストが侵攻を思いとどまる抑止力になるのかどうかは、事に至る文脈次第であろう。一般的な抑止力にはなるとしても、即時的な抑止力となるかは、首脳レベルの心象風景に関わる(台湾危機については、コラム2.6を参照)。ディピッポとブランシェットの論文にみられる、戦争が起きれば制裁以上のコストが生ずるという割り切りは、真理の一面を突いている。ただ、制裁は、国の安全に関わる問題であるから、制裁にまつわる意思決定は十分な情報に基づいて行う必要がある。ヴェストらやキルクリーズの研究は、その決定に必要な情報的基礎となるものであり、その意義が滅却されることはない。これらの研究は、ロシア制裁の教訓とベクトルとしては同じことをより強い調子で訴えている。制裁を実施するパートナーは幅広いものである必要がある。ただ、グローバルサウスには中立の立場を取る誘因がある。さらに、(第三回の)図2.6で見た通り、中国との通商関係における米欧の相違は、米欧が異なる利害計算を持Kilcrease、CNAS)による研究もある。彼女はその報2023)。キルクリーズは、アメリカが検討しうる多く*22) 人民元の国際化の障害は、国際収支の資本勘定の管理にある。中国は2014-15年にも資本勘定の改革に失敗している。財産権の保障のない中国では、資本勘定の管理がないと、海外への資金逃避が起こる恐れがある。 37 ファイナンス 2025 Jan.

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