る*35。それは、明治時代、西欧語を漢字に翻訳するこSPOT「しこうのそんざい」という言葉にぶつかったとする「水防(スイボウ)」という表現にぶつかったとする。で様々な概念を用いての抽象度の高い思考を展開することが難しくなってしまったことを意味していた。例えば日本でなら、「素粒子」などの難しい専門用語も、漢字の意味の含みから「モト(素)になるツブ(粒子)」ということで、それなりにイメージが湧く。「利潤」という言葉も「利で潤う」とすぐに覚えられる。ところが、漢字をなくして音だけのハングルにしてしまった韓国ではそうはいかない。金庸要顕氏は、その結果、韓国では「一朝のうちに国民全体が文盲のどん底に陥った」としている。例えば、雑誌を読んでいてと、大部分の者には何のことかわからない。「そんざい」はわかるけれども「しこう」がわからない。するとハングル世代はしかたなくそこを読み飛ばす。そうなると、ジャーナリズムのほうも読者に合わせて語彙を選択して使うようになり、その悪循環から、概念語や専門語にきわめて乏しい通俗的な文章ばかりが社会に蔓延しているという。韓国の老人のなかには、「韓国語では難しいことは考えられない。考えようとすればどうしても日本語になる」という人もいるという。そのような韓国では、一般に知的な関心が低くなり、今や世界最低の読書率(国民一人あたり年間平均読書量、0.9冊)を記録するに至っているという*34。韓国語を全面ハングル化したことは、多くの漢字の語彙を失っただけでなく、「表意文字」の漢字が含んでいた意味を失うという問題ももたらした。例えば、ハングル世代の者が漢字を含んだ文章を読んでいてそれが、水害を防ぐ意味だというのが分からないのだという。韓国でも、今日では漢字教育が復活しているので、「水防」の意味ぐらい分かりそうなものだが、ハングル世代への漢字教育は、外国語としての漢字、すなわち日本人が英単語を覚えるのと同じ感覚での教育にならざるをえないからだという。ちょっと分かりにくいが、「水防」について、訓読みになじんでいる日本人なら「水」と「防」のそれぞれの漢字の意味が「みず」と「ふせぐ」ことだということで水害を防ぐということがすぐに分かる。しかしながら、漢字に「訓読み」のない韓国語の場合、「水」と「防」の漢字を習っても、それは「スイ」や「ボウ」という音を覚えるだけなのだ。そこで、韓国の漢字教育では「水」は「みずのスイ」で、「防」は「ふせぐのボウ」というように教える。それは、英語で「water」は「みずのwater」で、「defense」は「ふせぐのdefense」だと教えるのと同じだ。今日の韓国人が漢字を覚えるのは、日本人が、受験生の時代、英語の単語帳と首っ引きで必要な単語の発音を覚え、同時に意味を覚えていったのと同じことなのだ。日本語では、「防」には音読みの「ボウ」と訓読みの「ふせぐ」の二通りの読み方があり、意識の中で自然に音と意味が結びついて一体化しているが、韓国の場合、ハングルの「ボウ」はその音でしか登場せず、「ふせぐ」という意味は、漢字の「防衛」や「水防」などの熟語としてしか登場しない。どこまでいっても、漢字の「防」は音としてのハングルの「ボウ」で「ふせぐ」という意味とは一体化しない。そこで、「水防」などの漢字は、英語の「flood prevention(水防)」と同じように、その言葉に接するたびに意味を頭に浮かべて身につけていくしかないことになる。したがって、漢字の単語を覚えても「意味を忘れる」「意味がすぐに出てこない」ということになる。漢字を習っても、なかなか身につかないことになる。両親の名前を漢字で書ける高校3年生が、50名中20名しかいないというのもそのためなのだ。この辺りは、漢字を日本語化して訓読みになじんでいる日本人にはなかなか想像しにくい状況だが、日本語におけるコンプライアンスといったカタカナ語やDX(デジタルトランスフォーメーション)といった英語の略語と同じだと考えればわかりやすい。呉善花氏は、日本も必要以上に西欧語から入ったカタカナ語を多用していると韓国と同じ状況になるとしている。カタカナ語や英語の略語には訓読みがなく意味と結びついていない。となると、そればかり使っていると数多くの専門用語が広く国民一般にすぐに理解される言葉だった日本語の良さが失われてしまうことにな全面ハングル化による意味の喪失 25 ファイナンス 2025 Jan.*34) 呉善花、2008、p25、28、30、41、58、71*35) 呉善花、2008、p65―66
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