ファイナンス 2025年1月号 No.710
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水島地区の生い立ちは古く約400年前の豊臣秀吉による備中高松城への水攻めが行われた天正時代の干拓からと言われています。この地区の工業化への歩みは大東亜戦争が勃発した昭和16年(1941年)、軍の命令による三菱重工業水島航空機製作所(現在の三菱自動車工業(株)水島製作所)誘致から始まり、県事業として地先海面の埋め立てによる工業用地の造成及び港湾施設整備が、その後の水島港発展の基礎となりました。玉島地区は、江戸時代の初期、備中松山藩主の水谷勝隆により石船が横付けできる港を整備したのがはじまりと言われており、江戸時代から明治時代にかけて千石船(北前船・高瀬舟)の寄港地として栄え、玉島発展に大きく貢献しました。しかし、明治24年の姿が消えると共に玉島港も衰退していきましたが、昭和42年(1967年)以降進められた玉島E地区造成事業により商業港としての基盤が整備され、現在ではコンテナ船航路も整備され、鉱産品、化学工業品、金属機械工業品、農水産品などで中四国地方トップの貨物量を誇っています。現在、玉島地区の街中に「岡山県税関発祥の地」と記された石碑が建っています。この場所は、かつて税関の監視署があった場所ですが、現在は一般家庭となっており、軒先にひっそりと建っています。昭和16年(1941年)に税関監視署は廃止されましたが、当時玉島税関監視署は玉島税務署に併置されていて、職員は署長の外1名だけでした。玉島港の発展に伴って出入りする船舶が増加し、多忙を極めていたようです。数ある倉敷市の名所のうち、代表的なものをご紹介します。倉敷市を代表する観光地である美観地区は、江戸時代初期の寛永19年(1642年)幕府の直轄地「天領」に定められ、周辺一帯の政治の中心地として栄えました。(1891年)の鉄道開通などにより、明治末には北前船(3)岡山県の税関発祥の地(1)倉敷美観地区(1)水島地区(2)玉島地区(支署から見た水島港)(水島港全景)(岡山県税関発祥の地石碑)各地の話題連載各地の話題 105 ファイナンス 2025 Jan.3.倉敷市の名所

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