ファイナンス 2024年12月号 No.709
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-敦賀駅西地区土地活用事業-敦賀港・敦賀湾(金ヶ崎エリア)1.交流の歴史と交通の要衝「敦賀」亜国際連絡列車」が整備された。1枚の切符で東京から敦賀を経由し、国境を越えてヨーロッパへ繋がっていたのである。当時の欧州へ繋がる最短ルートを形成し、画期的なゲートウェイとしての役割を担った。このように航路と陸路で世界と繋がっていた敦賀は、ローカルとグローバルが交差する場所に置かれた交流の特異点のようなものであったと窺える。ユーラシア大陸の東端で、欧州やアジアから様々な文化が流れ込む受け皿となって、ヒト、モノ、情報を受け止め、国際交流を促してきた場所である。それが冒頭に記した、ユダヤ難民が辿った希望の旅路となり、敦賀が「人道の港」と言われる所以である。こうした交通の要衝ともいわれる敦賀に令和6年3月16日、新たな1ページが加わった。それは、北陸新幹線敦賀開業である。当面の終着駅となる敦賀駅は、新たに新幹線と在来線を結び、東京、大阪、名古屋と1本で繋がることになり、交通ポテンシャルを飛躍的に高め、新たにヒト、モノ、情報が行き交う交流の受け皿となった。北陸新幹線敦賀開業を契機に敦賀駅前エリア(西口)の賑わいを見据えた再開発事業が、敦賀駅西地区土地活用事業(以下、本事業)である。本事業は、官民が連携して令和4年9月1日にオープンし、当エリア内には、本事業の中核施設でもあり、全国初の公設民営書店となる知育・啓発施設「TSURUGA BOOKS &COMMONSちえなみき(以下、ちえなみき)」も含まれている。本事業の目指すところは、来訪者にとっては氣比神敦賀の街が「天国(ヘブン)に見えた」。これは、1940年から1941年、ユダヤ難民が「命のビザ」を携え、苦難の旅路を経て敦賀に降り立った記憶を、後に振り返った際に語られた言葉である。敦賀という街は、古来より天然の良港として知られ、日本海沿岸各地との交流をはじめ、大陸文化の玄関口として栄えてきた。アジア大陸を結ぶ交易結節点として機能し、平安時代には、松原客館と呼ばれる渤海国の使節団をもてなす迎賓館が設けられたといわれ、令和6年のNHK大河ドラマ「光る君へ」の中でも登場したのは記憶に新しい。また、江戸時代には北前船の寄港地でもあり、戦前には「東洋の波止場」として、日本と世界を繋ぐ交通結節点としても機能した。天然の良港であるという地形的利点を生かし、航路から陸路へ、すなわち線路が敷かれ、東京-新橋から敦賀へ鉄道が通る。そして、1912年、敦賀からウラジオストクへ繋がる航路を経て、シベリア鉄道を経由して欧州各国(パリ、ベルリン等)に直結する「欧敦賀市まちづくり観光部まちづくり推進課・係長佐藤 雅善2. 官民連携を実装 ファイナンス 2024 Dec. 95北陸新幹線敦賀開業を見据えたまちづくり-これまでとこれから-敦賀市各地の話題連載各地の話題

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