連載セミナーロモンにしか反応しない匂いセンサをAの匂いに反応するように改変できるのです。つまり、改変したカイコガはAの匂いをメスだと思って探してしまうわけです。フェロモンに反応するタンパク質を取り去ることもできるので、触角がAの匂いにしか反応しないようなセンサ、そういう触角を作ることができるのです。このような方法で、特定の匂いに反応する触角をもったカイコガを作ることができるのです。そのような昆虫を「センサ昆虫」と呼んでいます。「警察犬」になぞらえて「警察昆虫」とも呼んでいます。センサ昆虫の例を紹介しましょう。コナガという世界的な農業害虫で、被害額は年に何千億円にも上るといわれていますが、そのメスのフェロモンに反応するようにオスのカイコガを改変しました。すると、このセンサ昆虫はコナガのメスのフェロモンを検出すると見事にメスを探し出したのです。センサを変えても、脳の中の匂い源を探索するための神経回路が正常に機能していたので、匂い源であるメスのコナガを探索できたわけです。他の例は、マツタケの成分に反応して、マツタケを探し出すセンサ昆虫です。このセンサ昆虫もマツタケに反応し、見事に探索することができました。このような技術は今後、医療、農業さらには、安全保障などの分野への活用が期待されています。今回は触角への応用としてご紹介しましたが、昆虫培養細胞にもこの技術は適用でき、特定の匂いを検出すると蛍光強度(色)が変化するセンサも作出でき、応用から社会実装までが現在進められています。昆虫の脳の中には、匂いを探すアルゴリズムが内在しています。このアルゴリズムを神経の回路として明らかにする研究も長足に進んでいます。昆虫の脳を作る神経細胞の形は様々です。昆虫の脳をジグソーパズルの絵とすれば、神経細胞はピースに当たります。ピースである神経細胞の形と働きを明らかにして、脳を作る神経細胞のデータベース化が進められています。集められたピースをジグソーパズルのフレームに当てはめていくようにして、神経回路(脳)を精密に再構成することが技術的にできるようになってきました。さらには、日本のフラッグシップ・スーパーコンピュータである「京」や「富岳」を使って、再構成した神経回路をリアルタイムでシミュレーションすることも可能になってきました。その結果、昆虫の脳にある匂いを探す命令を作る神経回路を再現し、その働きがシミュレーションできるようになったのです。余談にはなりますが、ショウジョウバエでは、脳を作る約2万個の神経細胞のほぼすべての情報がデータベース化されています。私たちのグループの加沢知毅特任研究員のチームが作ったプラットフォームにそれらのデータを入れていくことで、脳が再現されるのです。約800個の神経細胞を使って脳を部分的に再現し、神経活用の様子を「富岳」でシミュレーションすることにも成功しています。まだ完全ではないですが、カイコガが匂い源を探索する際の動きの命令を作る神経回路のモデルを実装し、匂いセンサとして切除した触角を装着した、まさに昆虫の機能を再現した匂い源探索ロボットができあがったのです。切り取った触角の先端と基部に電極を入れることで、匂い(フェロモン)に高感度で反応する匂いセンサとして使えます。このセンサの信号によって神経回路モデルが動く仕組みです。このロボットをフェロモンが流れる環境におくと、カイコガのようにジグザグに動きながら、匂い源を探索したのです。人が考えたロジックではなく、昆虫のロジックと昆虫のセンサを実装したロボットで、世界で初めて匂い源を探索することに成功したのです。生物は環境との相互作用を通して様々な環境に適応する仕組みを進化させてきました。そこには、私たちの想像を超えた仕組みも潜んでいたのです。このような生物の能力を「生物知能」と呼んでいます。人以外の生物の知能に注目し、自然に隠された価値を見出し、それを活用することで、自然と協調、共存を図る、これまでにない課題解決法が示されるのです。生物のなかでも全生物種の50%以上を占める昆虫の知能を活用した工学(昆虫工学)は、これまでの人一辺倒のロジックの枠を超えた課題解決の鍵となるでしょう。ちょうど1年前になりますが、昆虫の知能について 86 ファイナンス 2024 Dec.4.昆虫の脳をつくる5.昆虫工学:生物知能を活用した先端技術
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