センターゾーンで新旧中心が再結合図4 ぎふメディアコスモスプロフィール大和総研主任研究員 鈴木 文彦(出所)みんなの森ぎふメディアコスモス公式サイト仙台市出身、1993年七十七銀行入行。東北財務局上席専門調査員(2004-06年)出向等を経て2008年から大和総研。主著に「公民連携パークマネジメント:人を集め都市の価値を高める仕組み」(学芸出版社)市街地から無くなったのと変わらない。台風の目が消滅し熱帯低気圧になったようなものだ。最高路線価が岐阜駅前に移転した次の年の平成19年(2007)、43階建の「岐阜シティ・タワー43」が駅前広場の西面に建った。その向かい側には平成24年(2012)竣工の37階建「岐阜スカイウイング37」がある。戦後の「ハルピン街」を由来とする繊維問屋街の再開発の一環である。駅前広場の東面には24階建の「岐阜イーストライジング24」(令和元年)があり、北面には34階建のツインタワーが計画されている。岐阜駅から名古屋駅までJR新快速で最短20分だ。都心の利便性を享受しながら、3LDK4000万円台のタワマンもありコスパに優れている。柳ヶ瀬には35階建の「柳ケ瀬グラッスル35」が昨年完成した。1~2階が商店街と連続する商業施設、3~4階には子育て支援等の公共施設が入る。5階以上は分譲マンションだ。柳ヶ瀬通りはシャッターを閉じたままの店が軒を連ねる。県下唯一の百貨店となった高島屋も令和6年7月末に閉店した。売上のピークは平成3年度(1991)だったという。ちょうど郊外店の出店が加速する直前で、地価のピークとも重なる。西柳ヶ瀬では「日本一のシャッター商店街」と銘打ち、空洞化を逆手に取った「廃墟ツアー」などのイベントに取り組んでいる。視点を変えれば、いわゆる「都会の喧騒」からは一線を画した街になった。岐阜駅前は計画含め5本の高層住宅が建つ住宅街の顔を持つ。商業拠点は分散したが街なかに入る車は減り、高度成長期以前の静けさが戻ってきた。岐阜市は「居心地が良く歩きたくなるまちなか」を旗印にまちづくりを進めている。指針となるのが、岐阜駅周辺から岐阜公園に至る「センターゾーン」構想だ。駅周辺、柳ヶ瀬、市庁舎周辺そして岐阜公園の4つのエリアを1本軸で連結する。このうち「つかさのまち」と呼ばれる市庁舎周辺は駅周辺、柳ヶ瀬からつづく賑わい要素と、岐阜公園すなわち旧城下町の歴史・伝統の要素が交差する中心と位置づけられている。そのコンセプトが具現化された拠点施設が市立中央図書館「ぎふメディアコスモス」だ。プリツカー賞を受賞した伊東豊雄氏の設計で、商業拠点に代わるシビックプライドの拠点となっている。新築した市役所もあり、人が集う、中世都市の「広場」のような場所になった。一帯は公園化され、岐阜駅から長良川や金華山を緑でつなぐ軸線も仕込まれている。センターゾーンをなぞる2本の道路のうち長良橋通りはバス等の公共交通機関と歩行者の共用道路、トランジットモール化を目指している。かつて路面電車が走っていた道に赤色の自動運転バスが走っている。もう1本の金華橋通りでは外側車道を一時的に歩行者専用にし、テーブルやイスを置いてくつろげるようにする社会実験が度々実施されている。徒歩移動を前提とする「住まう街」と考えれば岐阜の優位性は2つある。まずは人口40万都市でありながら市街地のすぐ隣に自然があることだ。長良川の河岸に立つと、川の向こうに美濃山地の山並みが広がる。次は、街の中心が北から南へ約3kmの距離を移動してきたため、新しい街が上書きされずに古い街なみが残っていることだ。修景が進んだ川原町だけでなく、金華山の麓から御鮨街道に沿って町家や近代建築が残る。センターゾーン構想の4つのエリアは川原町・靱屋町(岐阜公園)、今小町(つかさのまち)、柳ヶ瀬、新岐阜・JR駅前の歴代中心地と重なる。センターゾーン構想は新旧の中心地を「住まう街」の次元で再結合するものといえる。路線価でひもとく街の歴史連載路線価でひもとく街の歴史 ファイナンス 2024 Dec. 79
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