神田町8神田町1金華山・岐阜城長良橋玉井町靭屋町中竹米屋屋町町金町通(金華橋通り)松屋町御鮨街道今小町神田町通(長良橋通り)①④⑨⑧グラッスル35いままちまるぶつ卍卍卍卍卍卍卍卍卍卍卍卍卍卍卍卍卍卍卍卍卍卍卍卍卍卍卍卍卍卍卍卍司町卍卍卍卍卍卍卍卍卍卍ファイナンス 2024 Dec. 77卍卍『柳ヶ瀬ブルース』の時代問屋街伊奈波岐阜駅Ⅰ長良川□□跡旧市役所農工↓勧銀跡名古屋↓東海跡柳ヶ瀬旧貯蓄岐阜駅Ⅱ□□階×□名鉄岐阜(新岐阜)駅新岐阜駅跡岐阜駅Ⅲ①丸物→近鉄②新岐阜③山勝→パルコ④タマコシ→岐阜センサ⑤ジャスコ⑥長崎屋⑦ダイエー⑧岐阜高島屋⑨岐阜メルサ廃線跡水路跡街道筋大戦をはさみ、昭和35年(1960)の最高路線価地点は「柳ヶ瀬通二丁目熊田文具店前」だった。丁目表図2 市街図(出所)筆者作成。陰影起伏図は金華橋メディアコスモス市役所□□階シティタワー□□地理院地図vectorから駅の引力が作用し街の重心が少しずつ南に向かってゆく。大蔵省「主税局統計年報書」をひもとくと、靱屋町は明治44年(1911)まで最高地価の地位を保っていたがその翌年に今は、メインストリートが御鮨街道から神田町通とその延長線、現在の長良橋通りに移った意味もある。背景には路面電車の開通があった。明治44年2月、美濃電気軌道が経営する路面電車が岐阜駅前から今小町まで開通した。今小町は路面電車のターミナルだった。大正4年(1915)には長良橋の北側まで延伸し、郊外線の長良軽便鉄道に連絡している。今小町の近隣には官公庁が多かった。今小町が最高地価の時代の建物で現存する旧岐阜県庁は大正13年(1924)に竣工した鉄筋コンクリート造だ。岐阜県出身の建築家、矢橋賢吉が建築顧問を務めた。3番目の中心が柳ヶ瀬である。開業当時の路面電車は“ト”の字型の路線網で南北本線と東西の美濃町線の合流点が柳ヶ瀬だった。大正2年(1913)7月、岐阜駅が1ブロック南の現在地に移転した。拡幅された金町通の突きあたりに位置する。金町通は、戦前は凱旋道路、戦後平和通りに改名され、現在は金華橋通りという。3代目の駅舎で3代目の駅前道路だ。その翌年、岐阜駅に寄り添って郊外電車の駅、「新岐阜駅」ができた。美濃電気軌道の郊外線で、当時は笠松駅までの路線だったが、後に名古屋鉄道に買収され名鉄本線となった。最高地価が今小町から柳ヶ瀬町四丁目に移転したのは昭和2年(1927)である。その3年後の6月、柳ヶ瀬に岐阜初の百貨店が開業した。京都駅前に本店を構える「京都物産館」の支店で、大垣共立銀行が新築した岐阜支店のビルの上階に出店していた。物産館の“物”を丸で囲んだ商標から、開店翌年の昭和6年(1931)9月に商号を「丸(1938)に8階建の店舗を新築した。なお同時代の建物は昭和12年(1937)築の「じゅうろくてつめいギャラリー」が現存している。当時は岐阜貯蓄銀行の本店だったが、昭和18年(1943)に合併されて十六銀行の徹明支店となった。へ移る。今小町への移転に小町こ物⑥⑤③②⑦路線価でひもとく街の歴史連載路線価でひもとく街の歴史 」に変更した。昭和13年
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