ファイナンス 2024年12月号 No.709
60/110

SPOT(国宝 源氏物語絵巻 柏木 源氏の妻、女三の宮は柏木との不義の子を産む。)藤原隆能 著 ほか『源氏物語絵巻』,徳川美術館,昭11.国立国会図書館デジタルコレクションさて、女三宮は六条の院に輿入れしたが、源氏の君は紫の上を大事にする。太政大臣の息子、柏木の衛門の督は「女三の宮はうわべだけは大切にされていらっしゃって、それだけは御立派でも余りお逢いになる事もなさそうなのは、恐れ多いこと」(瀬戸内寂聴訳)と思い、源氏の君が不在のときに思いを遂げ、やがて懐妊。源氏の院は、女三の宮の部屋で衛門の督からの恋文を見つけ、「『どうやら御懐妊という御容態も、こういう不倫の恋の結果だったということか。何という情けないことだ。…亡き桐壺院も、今の自分と同じように、お心の内では何もかもあの藤壺の宮との密通のことを御承知でいらして、その上でそ知らぬふりをなさっていらっしゃったのではないだろうか…』と、身近な御自身の過去の例を思い出されるにつけ、…「恋の山路」は迷うものなので、それに迷う人を非難するなど、できた義理かという」(瀬戸内寂聴訳)気持ちもする。源氏の君は、衛門の督を招いた宴の席で「しかし、あなたの若さだっていましばらくのことですよ。決してさかさまに流れてゆかないのが年月というもの。老いはどうしたって人の逃れらない運命なのです』(瀬戸内寂聴訳)と酔ったふりをしながら言うと、衛門の督は参ってしまう。源氏の君と衛門の督は叔父と甥の関係。叔父と甥といえば、道長とその兄道隆の長男伊周の関係について。「大鏡」では、道長との権力闘争に敗れ、伊周が失脚した後、道長の娘彰子に後一条天皇が御生まれになり、その七夜に歌集の序文を書く会に伊周も参集。出席者たちは「本来ならこういう会には出席されるべきではないのに…何のためにおめおめとでてこられたのだろう」と見ていると、「道長公はほんとうにばつが悪くならないように上手におもてなし申し上げたのですが、その甲斐があって」、伊周は、「序文を素晴らしく立派に書き上げられた」という。また、伊周に不穏な企てありとの噂が流れたため、伊周が弁明のために道長の邸に赴くと、伊周が「たいそうびくびくしている様子がはっきりと見てとれるのを」道長は「をかしくも、またさすがにいとほしくもおぼされて」、「長いこと双六のお相手を致しませんで物足りない気がしますから今日なさいませ」といって、双六の盤を取り寄せると、伊周の顔色は格段によくなったという。二人は「肌脱ぎになり、腰に衣服を絡ませて」、双六を「夜中、暁まで遊ばす」というが、伊周は「古くから伝わった品々の何ともいえぬ美麗なもの」を道長は「新しくて面白みがある品々」を賭けて、取り取られつなさったが、結局、伊周は「このような遊び事においてまで…後れを取りなさいまして、道長帝を辞去なさいました」したと「大鏡」は記す。柏木の衛門の督は病になり、父太政大臣は加持祈祷で回復を祈るが物の怪は現れない。「王朝の貴族」によると、当時、「物の怪が活躍するのは病気のときで、…当時の貴族たちはきまって祈祷をした。もちろん、医者の世話にもなるが、それは従の立場で、最も頼みとするところは神仏の加護」であったという。物の怪については、「紫式部日記」でも、中宮彰子の出産のときに今お産みになるというときには、「御物の怪のねたみののしる声などむつけけさよ。」とはじめに祈祷を担当させた者たちは「物の怪にひきたふされ」たので、別の阿闍梨を召して大声で祈ったのは、物の怪がとても手強いからであったと記される。やがて、源氏の妻、女三宮は柏木の子を出産。産後の肥立ちの良くない宮は出家したいと言い出す。源氏の君はこれを留めるが、娘の身を案じた朱雀院が、お忍びで来られ、宮の切なる望みを聞かれ、出家を許して剃髪させる。女三の宮の出家は柏木の耳にも入り、病はいよいよ重くなり、残していく北の方女二宮(落葉の宮)を身近の人々に頼んで亡くなると親友の夕霧は遺言を守り律儀に柏木の両親や落葉の宮を慰める。夕霧が御簾での外に隔てているのはあんまりだという 56 ファイナンス 2024 Dec.ならすべき宿のこずえか」(36) 柏木「柏木に葉守の神はまさずとも人

元のページ  ../index.html#60

このブックを見る