ファイナンス 2024年12月号 No.709
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SPOT 源氏物語とその世界(中)(三蹟の一人、藤原行成の書。一世の書家名筆である藤原行成は、道長の長女、彰子の入内の際、四尺の屏風に歌人として高名な公□たちから集めた和歌を書いたという。)藤原行成[書]ほか『行成書帖』,清雅堂,昭和18.国立国会図書館デジタルコレクション滅入っていた。源氏は心に染まないながらも、表向き婚礼の儀式を立派にし、婿君を鄭重に扱っている。このことを聞かれた帝は、残念ではあるが、尚侍として勤めよと仰せられる。…玉鬘に懸想していた人々の落胆は気の毒なほどであった。」(円地文子訳))。かつて、源氏の君は、兄帝に入内することになっていた朧月夜の君と関係したが、ここでは、入内させようとも思っていた養女をその意に沿わない男にもっていかれる。養女の結婚といえば、「大鏡」は、道長の姉で一条天皇の生母詮子が皇后のとき、藤原氏の陰謀により失脚した左大臣源高明の娘明子を「内親王様をお預かり申し上げたかのように」「…限りなく思ひかしづききこえたまひしかば」、道隆、道兼、道長などの詮子の兄弟たちも「明子に付文を差し上げなどなさいましたが、詮子様は上手にたしなめられて、現在の入道つまり道長公様のみをお許しになられましたから、道長公が明子さまの所に」「通ひ奉らせたまひし」と記す。結果、道長の妻の一人となった明子との間には、女君二人、男君四人が生まれたという。玉鬘の出仕が快くない大将は、自邸へ引き取ってしまおうと考え屋敷の修理にとりかかる。「ついに父宮は大将の留守に、北の方を屋敷に引き取ることにした。十二、三歳であった長女の姫君は、…せかされて仕方なく、「今はこれまでとこの家を離れていくにしても、幼いころ方慣れ親しんできた真木の柱よ私を忘れてくれるな』(谷崎潤一郎訳)と書いて、日ごろ寄り馴れた真木柱の干割れに差しこんだ」。髭黒の大将は北の方の実家に迎えに行くが、逢うこともできず、「しおしおと邸へ帰っていった」(円地文子訳)。貴族の離婚について。「王朝の貴族」によると、結婚も自由だが、「離婚もきまった手続きは何もない。…境目がはっきりしないから、その間に求婚者もまた現れる。女のもとに同時に二人の男が通うことも、いくらでも例もあり、ことに和歌の世界ではざらである」という。源氏の君は、娘、明石の姫君の東宮への入内の準備を進める。まずは御裳着の儀。入内の用意として、源氏の君、紫の上、朝顔の斎院、明石の御方、花散里の調合した香が集まると、弟、蛍兵部卿の宮に判者となり香合が行われる。東宮が元服すると、左大臣の三の君が入内し、つづいて明石の姫君が入内。源氏は、昔の自身の宿直所であった桐壺を整えて、姫君入内の準備をする。入内の準備といえば、道長の娘彰子の入内について。「王朝の貴族」によると、「内裏に家の出張所をつくって、そこに天皇を迎える形になるので、内裏内の彰子の部屋の設備は、道長の方で世話をすることになる…数々の調度品のなかで道長が特に力を入れたのが高さ四尺の屏風…。これには名工飛鳥部常則の屏風絵を貼り、そこに歌人として高名な公卿たちから、画題にふさわしい和歌を集めて、一世の書家名筆藤原行成に書かせようという趣向である。…当代一流の歌人である公卿たちは、みな道長の求めに応じた。道長自身もこれに加わ」ったという。道長の求めに応じてこれを書いた、当時蔵人頭だった藤原行成は日記「権記」に入内の前日に屏風に書を書いたと記している。内大臣(かつての頭の中将)は、「このような準備の模様を耳にするにつけても、雲居の雁のことが案じられてならない。」(円地文子訳)。娘、雲居の雁と源氏の君の息子、夕霧の結婚について「あれこれ思案の末、やはりこちらから折れて出ようと、ようやく決心がついた」内大臣は、母(夕霧の祖母)の法要で、夕霧の袖を引き寄せて、「『どうして、そんなに私を困らせるのですか。今日の法要の縁に免じてでも許してください。…』と打ち明けた様子(33)藤裏葉(32)梅枝ファイナンス 2024 Dec. 53

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