SPOT 源氏物語とその世界(中)い」(円地文子訳)という。源氏物語には豪華な宴が催された場面は多いが、何が供せられたのかはよく分からない。ドナルド・キーンも「作者は、食べ物に関して驚くほどの無関心さを示している」という。物語の中で美味しそうにも思えるのは、この帖で「氷を入れた水を取り寄せてお飲みになったり、氷水をそそぎかけて水飯などを、めいめいでにぎやかに食べています」(瀬戸内寂聴訳)くらい。彼らは、さぞかし豪華な宮廷料理を堪能していたのかと思うと、「王朝の貴族」は、「こと食物に関しては、平安時代の貴族も実に哀れなもので、…どうもこんにちわれわれが羨ましいと思うような食物は見当たらない。当時の貴族たちの日記に、ほとんど食物のことが出ず、 なにを食べたいとか、なにがうまかったなどという記事が見えないのは、…そもそも記事になるほどの食べ物もなく、関心がうすかったからではなかろうか」といい、財団法人味の素食の文化センターの「日本の食事文化」でも、貴族社会の行事で供された大饗料理について、「料理のなかみはあまりおいしそうではない。殆どの料理は冷たくて堅そうだ。」という。源氏の君は玉鬘の部屋に行って琴を弾くように勧め、父内大臣の話をして、(玉鬘の昔なつかしい母によく似た容色を見たら、父内大臣も元の垣根(母夕顔の居所)を尋ねたくなるであらう)(谷崎潤一郎訳)と詠むと玉鬘は泣く。源氏の言葉を伝え聞いた父、内大臣は玉鬘は源氏の子ではないかもしれないと疑う。秋、源氏の君は和琴を御教えるに事寄せて、度々玉鬘のもとに出かけ、琴を枕に二人で仮寝もする。消えかかっている篝火を明るく焚かせると、その灯影に映えて、玉鬘がこのうえもなく美しく見える。源氏の君は「篝火の煙と共に立ち上る私の胸の思ひの炎こそは、いつになっても消えることはありませぬ]と詠むと、玉鬘は、「行方なき空に消ちてよかがり日のたよりにただふ煙とならば」(篝火の煙につれて、あれと同じように立ち上る思ひの煙とおっしゃいますならば、篝火の煙が行方も知れぬ空に消へてしまいますやうにその思ひもあとかたもなく消して戴きたうございます)(谷崎潤一郎訳) とつれない。帰ろうとすると、風流な笛の音が聞こえ、内大臣の長男、柏木らをそこに招いて、合奏させる。「王朝の貴族」によると、当時、「当時の貴族のおもて芸」は、詩歌管弦で、英明の主「一条天皇の宮廷に多数の人材が輩出し…宮廷生活で最も重んぜられる詩歌管弦の会には、それぞれに花形を欠くことはな」かったといい、「紫式部日記」でも管弦のお遊びが催された時に、殿上人たちが拍子をとり、琵琶、琴、笛などを奏で、謡ったことが記されている。秋、六条の院の庭が秋の美しさに染まる。源氏の院の息子、夕霧は例年になく激しい野分で屏風もたたんで中が丸見えになっていたので、はじめて紫の上を垣間見る。「父君が自分を、紫の上のお側に近づけないように、努めて遠ざけるようになさるのは、このように一目見た人がただではすまされそうにない紫の上のお美しさなので、万一、こんな風に自分が垣間見て、心をそそられるようなことがあっては困ると、思慮深い父君の用心からご心配なさってのことだったのか』と気がつくと、何となくそこにいるのが空恐ろしくなって、夕霧の中将が立ち去ろうとする(瀬戸内寂聴訳)。「王朝の貴族」によると、当時、身分ある女性は慎み深く引籠ることが良しとされ…た。彼女たちにとっては、…外来者に顔を合わせることは、はしたない所行であった。したがって御簾や几帳のうちに身を潜め、扇で顔をさしかくし…た。自然、男は女性を垣間見る機会をねらうことになる」という。「紫式部日記」でも、中宮とともに夜に牛車で内裏に戻る際、車に乗る時に「月が明るいので、(顔を見られるのが)恥ずかしいことと思って、足が地につかぬ思いである」と記される。十二月、帝の行幸があり、六条の院の女君たちは車を連ねて見物に行く。「玉鬘は主上の御立派なお姿を拝し、さらに、父内大臣の美々しく男盛りでいられるのを見た。右大将は晴れの装束もはなやかであるが、髭ばかり黒くて好もしくない」。源氏の院は玉鬘に、「昨日は帝をお見上げしましたか。かねて、おすすめ(27) □火「□火にたちそふ恋のけぶりこそよにはたえせぬほのほなりけれ」(28)野分(29) 行幸「うちきらし朝ぐもりせしみゆきにはさやかにそらの光やはみし」ファイナンス 2024 Dec. 51
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