ファイナンス 2024年12月号 No.709
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SPOT(都会で蛍を見るなら、今年70周年を迎えたホテル椿山荘東京の「ほたるのゆうべ」。)庭園の四季の彩り(夏)|東京のホテルならホテル椿山荘東京。【公式サイト】(hotel-chinzanso-tokyo.jp)け取った娘の方では、みな寄り集まって、返事をしたものか、それとも黙って放っておこうかと相談が始まる。」まずは、「(こちらにはお話し相手になるような者もおりませんから、いくら声をおかけになっても無駄でございます。)」と返歌。「歌の上ではいちおう断った形になっているが、…これを手始めに始終手紙が来る。…娘のほうははかばかしい返歌もせず代作代筆の歌を返事に出したりしている。…こんどは自筆の返事をくださいよ、などと但し書きをつけてまた歌を送ってくる。…「(こういう様子ならば、うわついた気持ではなくまじめな話と思われて)と書いてあるように、女の方では男の気持ちをためしている」という。そのうち、源氏の君は、「こんな魅力のある人をみすみす赤の他人にしてしまうのは、どんなに残念だろう」と思い、ある一雨降った後のものしずかな黄昏時に「こうして母君とそっくりのあなたにお会いするのは、夢ではないかとばかり思われます。どうしてもあなたを愛する気持ちをおさえられえそうもないのです。そんな私をお嫌いにならないでください。」といって、姫君の手をとるが、姫君は、「とてもいたたまれなくなりましたけれど、さりげなく、おっとりした様子でご返歌」(瀬戸内寂聴訳)をしてスルー。玉鬘には貴公子たちから恋文が寄せられる。その一人、兵部卿の宮(源氏の君の弟)は、お忍びで玉鬘の御殿に来る。物蔭に隠れて万事の指図をしていた源氏の君は、蛍を玉鬘の周りに放つと、姫の横顔が美しく浮かび上がる。宮は「なく声も聞こえぬ虫の思ひだに 人の消つには消ゆるものかは」(鳴く声を持たない虫、即ち蛍の火でさへも人が消そうとしてもなかなか消えるものではありませぬ。まして私の胸のおもひがどうして消されましょうぞ)と詠むと、玉鬘は「声には出さないで終夜ただ身を焦がしている蛍の方が、口に出して仰るお方よりもいっそう切ない思ひを抱いているでございませう」(谷崎潤一郎訳)との返し。その蛍が源氏蛍(光源氏に由来するという説もある)だったのかわからないが、都心で蛍を見るなら、ホテル椿山荘東京の「ほたるの夕べ」。ホテルのWebsiteによると1952年の開業から2年後「ほたる観賞の夕べ」が始まり、今年70周年。明治の元勲、山縣有朋公の屋敷跡の広大な庭園を蛍が飛び交う幻想的な世界を堪能。ホテル椿山荘東京の広大な庭園は50,000m2というが、源氏の君の六条の院66,000m2は更に広い。六条院の女君たちは、絵物語の遊び事に身を入れている。「正史といわれる日本紀などはほんの一面しか書かれていないのです。こうした物語の中にこそ、詳しいことが書かれているのでしょう」(瀬戸内寂聴訳)と源氏の君を通して、紫式部は物語への思いを語る。「紫式部日記」によると、紫式部は子供のころ弟が史紀を暗唱するのに手間取ったり、忘れるところを「あやしきまでさとく」暗唱できたので、父親が「「残念なことに、この子を男の子として持てなかったのは不運というものだ」と「つねになげかれはべしり」という。中宮彰子が当時漢詩として最も好まれていた白楽天の「白氏文集」のような漢詩文をお知りになりたそうにしていたので、他の女房がお傍に控えていないときにこっそりと教えたといい、源氏物語を読み聞かせられた一条天皇は「『この人は、日本紀をこそ読みたるべけれ。まことに才あるべし』とのたまわせける」と伝わるから、紫式部は当然日本紀などは読みこなした上で源氏物語を書いていたはず。暑い夏の日、源氏は釣殿で夕霧らと涼む。内大臣(頭の中将)が最近引き取った落胤の姫君が話題になり、源氏の君は「自分には子も少ないが、名乗り出る張り合いもないと思うのか、そういう者は出てこな 50 ファイナンス 2024 Dec.(25) 蛍「声はせで身をのみこがす蛍こそいふよりまさる思ひなるらめ」(26) 常夏「撫子のとこなつかしき色を見ばもとのかきねを人やたずねん」

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