ファイナンス 2024年12月号 No.709
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い*50。身体運動を言語化したオノマトペの延長線上に、SPOT 日本語と日本人(第9回)豊、今井むつみ、秋田善美、2024、p120、「言語の本質」今村むつみ、秋田善美、中公新書、2023、pp254−55)*42) デンマークの言語学者オットー・イェスペルセンが、1928年に英国学士院で行った講演(「アイヌと古代日本」江上波夫他、小学館、1982、p350)*43) 田中克彦、2021,p117−120、p128、234*44) 岡野原大輔、2023、p82*45) 驚くようなこと、不可解な事象があった時、ある仮説を置いてみて、自然に説明できるなら、とりあえず真と認めようという推論(大澤真幸、松尾*46) 今村むつみ、秋田善美、2023、p175−219、252−54*47) 自然界の音声、物事の状態や動きなどを音で象徴的に表した言葉。「わんわん」「よちよち」「がつがつ」など。*48) AIは一見、言葉の意味を理解しているように見えるが、意味を理解しない記号を別の記号で置き換えているだけで、実は理解していない。それは、AIの言葉の「理解」が経験や感覚に対応づけられていない(接地していない」からだという問題*49) 「言語の力」ビオリカ・マリアン、KADOKAWA,2023、p291*50) 英語のオノマトペが声と音だけなのに対して、日本語のオノマトペは声、音だけでなく動き、形、手触り、身体感覚、感情と幅広い(本稿第2回参照)*51) 大澤真幸、松尾豊、今井むつみ、秋田善美、2024、p98。*52) 高島俊男、2001、p233−34*53) 東京大学名誉教授、国際形而上学会会長などを歴任した史過程の中で中国語のような子供っぽい原始的言語への道を歩んでいるといった指摘も行われて多くの混乱がもたらされたという*42。最終的に言語進化論は、ロシアの言語学者ニコライ・トルベツコーイによって否定された*43。その後一世を風靡したのが、人間は生来の言語能力を持っているとするチョムスキーの生成文法論であった。ところが、最近では、文法を仮定せずに人工知能を使った大規模言語モデル(チャットGPTなど)が言語を扱う能力を獲得してしまった*44。そこで、言語は脳による意思疎通をしようという即興的コミュニケーションの上に進化してきたとするニック・チェイター教授のような説が登場してきているのだ。その延長線上の説として筆者が興味深く思っているのは、慶応義塾大学環境情報学部教授の今村むつみ氏が唱えている、人間が言語を持つことを可能にしたのは他の動物が行わないアブダクション推論*45の能力だという説である。それによると、子供の言語習得に重要な役割を果たすのは、アブダクション推論によるブートストラッピング・サイクルだという*46。ブートストラッピング・サイクルとは、子供がよく使うオノマトペ*47から始まり、高度な言語を学んでいくというものである。それは、AI言語で解決不能な接地問題*48を説明するもので、身体の運動、思考、信念、記憶など、あらゆる要素から発話に伴うアブダクション推論が行われるのだという。それは、どんなによくできた人工言語であっても身体運動を伴わない以上、自然言語にはなりえないということを意味している*49。日本語ほど多様な身体運動に関するオノマトペを持っている言語はな日本語における創造の飛躍も基礎づけられているといえよう。西欧の言語学は、日本語のそのような特徴にほとんど気付いていなかった*51。それが脳科学の発達によって、ようやく気付かれつつあるのが今日の言語学の現状と言えよう*52。以上で、主語を使わない日本語の話はお終いである。筆者は、人事院が主宰する日本アスペンの研修でご指導いただいた今道友信先生*53から、哲学は魂の世話だということと、日本人の哲学が必要だという話を伺った。今道先生は、終戦の年、鎌倉に最晩年の西田幾多郎氏を訪ね、日本人の哲学が必要だと言われたという。本稿は、筆者なりに今道先生の問題意識への答えの試みでもある。日本語の持つ「寄り添い機能」を取り戻すことが、日本人の哲学の目指すべきところだということである。専門家からのご批判を仰げれば幸いである。次回は、番外編として韓国語について見ていきたい。韓国語は日本語と同じ謬着語だが主語制となっており、かつては中国の漢字をそのまま用いる「文字言語」だったが、今日では漢字を捨て去って全面ハングル化し、欧米語と同じ「音声言語」になっているという興味深い言語なのである。おわりにファイナンス 2024 Dec. 47

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