SPOT 日本語と日本人(第9回)うのと同様の働きだ。人工知能はそんなことはしない。人工知能は深層学習技術の開発により、情報処理の分野で大きく人間を超えるようになったが、計算による情報処理という基本を変えたわけではないからだ。人間の知能は、ニューロンで結合した100億もの脳細胞が自由自在に活動し、1000億ものニューロンによる1000兆個ものシナプス結合が創り出す統合的解釈が意識活動として認識されるものだという*27。それは、ニック・チェイター教授が指摘していた、想像の飛躍や比喩が縦横無尽に働いている世界だ。それは想像の飛躍が豊富な日本語の得意とす分野で、そこには人工知能の出番はない。そのような日本語は、今後の人類の進化に大いに役立つ言語になりうる可能性を持った言語というわけだ*28。それを人工知能が真似ようとしても、いたずらに電力を消費するだけだろう。なお、人工知能の発達に関して、欧米では人工知能が人間を支配するようになることが真剣に心配されているという。ターミネータ*29が生まれるのではないかというわけである。それに対して日本人でそんなことを心配する人は少ない。日本では、ロボットといえば鉄腕アトム*30である。思うに、一神教を信仰する欧米人の頭の中には、最後の審判で人類が滅ぼされてしまうという感覚がある。それに対して、混沌の中から万物が生まれてきたという神話を持つ日本人にはそんな感覚はないからであろう*31。最後に、日本語の哲学について述べておきたい。ニック・チェイター教授は、初期の人工知能研究は人間がもつ物理や社会の知識の根底にある原理を取り出そうとして失敗し、言語学は言語を生成する文法原理を見つけようとして失敗し、哲学は真や善の意味や心の本質の根底にある原理を明確化しようとして失敗したと述べている*32。西欧の近代哲学の原点はデカルトの発見した「自我」だ。そこから様々な概念を措定して人間の生き方を突き詰めていく。そこには、人々が変幻自在に立ち現れる「世間」でのコミュニケーションの道具である日本語ではありえない確固たる「自我」という前提がある。ロールズの「無知のヴェール」やホッブスの「万人の万人に対する闘い」に、多くの日本人が違和感を持つのはそのせいであろう。そのような西欧流の考え方は、前回見たように日本人を「不安」にしてしまう。哲学が、魂の世話(ソクラテス)で、人間を「幸せ」にするものだとするならば、日本人には西欧流の「自我」を前提としない哲学が必要なのだ。筆者は、日本人の哲学の原点は「自我」ではなく「世間」だと考えている。その「世間」は人間だけではなく「もの」や自然でも構成されている。日本語では人間だけでなく「もの」や自然も変幻自在だ。皿は一枚二枚、御飯は一膳二膳、魚は一匹二匹、たたみは一畳二畳、うどんは一玉二玉と、その個性に応じて数えられる。色彩にも「東雲(しののめ)色」のように、夜明けに東の空が明るくなってきたほんのひと時の様相をあらわすような多様な色がある*33。やまと言葉の「ほほえむ」は、人が「かすかに笑う」というだけでなく、植物の「つぼみが開き、ほころぶ」の意でもある。虫の音を、西欧人のように雑音としてではなく声として聴くのが日本人なのだ。そんな世界で、「他人を信ずべき存在という人間観」を強く持っているのが日本人だ。そのような日本人の哲学は、自分だけでなく他人も同じように幸せにするための生き方を教えるものでなければならない。花鳥風月といった自然も含めた「世間」の中で、可変的な存在である自分が他者とともに楽しく過ごしていくための生き方だ。前回述べた日本語の寄り添い機能を生かしていくための生き方だ。何か小難しい話になったが、要は日本人の哲学は変幻自在な「世間」で話される日本語の中に体現されているはずだということだ。それは、本稿第1回にご紹介した金谷教授が日本語を学ぶと人格が柔らかくなるという話に通じることだ。柔らかな人格の人々が集ま日本語の哲学*27) 「大規模言語モデルは新たな知能か」岡野原大輔、岩波書店、2023、p85*28) 山口仲美、2023、p270−71*29) 未来からやってきた殺人サイボーク*30) 鉄腕アトムは、「他者への信頼」の塊のようなロボットである。人工知能には「他者への信頼」などないので、それは日本人の創造の飛躍が創り出した「うそ」の世界のロボットで、本稿第2回の「言霊の幸はふ国」で紹介した漫画「ゲゲゲの鬼太郎」に登場する妖怪たちと同類のものといえよう。*31) 人工知能に支配されることはないとしても、人工知能が原水爆にも匹敵する殺人システムを創り出してしまうといった危険性については留意が必要である*32) 「心はこうして創られる」ニック・チェイター、講談社選書メチエ、2022、p284*33) 加賀野井秀一、2024、p187−93ファイナンス 2024 Dec. 45
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